「貴臣」
名前を呼ばれて、目が覚めた。視線を上げると、昼食を持った知り合いが二人立っていた。付き合いの年数を考えれば両方とも友人と呼ぶに足りるのだろうが、なんとなくその気安さが気に入らなくてそんな呼び方をしたことはない。もし貴臣がそう呼んだとしたら、この二人はものすごく厭な顔をすることだろう。貴臣だってそうする。
片方が五味市倉、もう片方を二ノ闇桐伍と言った。染めていない黒髪の市倉と、痛んだツートンカラーの茶髪である桐伍が並んで立っている様を見るとやはりアンバランスで、それに自分の白髪が加わって三人で立っているところはさぞ目立つのだろうと思った。
「このサボり魔が、何のために学校来てんだ死ね」
言いつつ投げつけられたトマトジュースをぱしんと受け取って、貴臣はによっと笑った。
「出席日数ゥー」
「ざっけんな、死ねッ」
生真面目に怒鳴って、桐伍は貴臣から離れた壁に座った。こいつは昔から貴臣のことが気にくわないようで、貴臣が適当な事を言う度に細かくどやしつけてくる。俺のことなんかどうでもいいだろうによくやるなーと思うあたり、一切効いていないのだけれど。
「まあ、出席日数気にしてるだけいいじゃない」
取りなすように笑って、市倉は貴臣と桐伍の中間あたりに席を取る。この市倉は貴臣を吸血鬼と診断した五味博士の孫であった。付き合いは桐伍よりも長い。
トマトジュースは冷たい温度を貴臣の掌に伝えた。
市倉は、でもと続けた。
「あの出て行き方は無いんじゃないの? 千春ちゃん泣きそうな顔してたよ」
「千春ちゃんって誰?」
「理科の先生」
「ああ……」
繊細な先生も居たものだ、と思いながら貴臣はストローを取り出して、銀色の円の部分に突き刺した。
「あの人、何でわざわざ声かけてきたのぉ?」
ストローを咥えて、どろりとした液体を飲み下す。貴臣が授業で突っ伏しているのは中学一年生の頃からで、何度どの教師に注意されてもやめなかったので二年経った今では誰もが黙認状態である。つい数日前に三年生になった貴臣に、言うことを聞かないのをわかっていてどうしてわざわざ、と不思議に思ったのだった。
「今月から赴任してきた先生だから」
コンビニのおにぎりを囓りながら、市倉はそう答えた。
「お前のこととか知らないんでしょ、まだ」
「ふーん」
ストローを噛んで、貴臣は生返事をした。
「結構僕のタイプなんだから、いじめないでよね」
まじめくさってそう言う市倉を見遣って、貴臣はあれ、と首を傾げる。
「お前、いじめられてる女が好きなんじゃなかったっけ?」
「違うよ。好きなタイプの女の子が追いつめられてるのが好きなの。で、追いつめるのはできれば僕がいいの」
「うわ、気持ち悪……、変態かよ」
「お前に言われたくないなぁ。こないだ人形見てうっとりしてたくせに」
「ああ」
こないだ、というのは、肆戸美術館の特別展示で人形展をやったときのことだった。使用人の一人からチケットを貰ったのだが、二枚余っていたのでこの二人に声を掛けたのだ。
陶器で出来た少女達は、少なくとも人間の少女よりは好ましかった。アクリルの壁に阻まれて、触れることはできなかったけれど、触ってみたらきっと貴臣よりも冷たいのだろうと思った。きっとあれは、トマトジュースよりも冷たいだろう。
確かに、少し欲しくなってしまうくらいには、気に入っていた。
冷たいものが好きなのかもしれない。
「でもさあ、生身の方が気持ち悪くない? ねえ桐伍くん」
話を振った先の桐伍は焼きそばパンをちょうど口に含んだところで、タイミングが悪いと言うように眉を顰めた。
「桐伍くんも結構好みでしょぉ、ああいうの」
問うても、桐伍は黙って口をもぐもぐさせている。ここに居る連中の中では一番粗雑なくせに、一番行儀にうるさいのも桐伍だから、口の中のものが無くなるまでは喋らないだろう。
あーあ、と貴臣はストローを噛んだ。
「このまま午後もサボろっかなあ」
「いけません」
おにぎりのゴミを片づけながら、市倉は笑って窘めた。
「けち、生徒会長」
「それは悪口にはならないよ」
これもついでに捨てといて、と市倉のゴミ袋に紙パックを突っ込みながら、貴臣は午後の過ごし方を思って小さくため息を吐いた。
「月曜は学食に行こうぜ」
「何でまた」
市倉が首を傾げたので、貴臣も真似して首を傾げた。
「トマトジュースに飽きたから」
© 2008- 和蔵蓮子