未必の戀の返りごと




アンダンテ
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 二人に追随して教室へは戻ったものの、貴臣は結局五時間目が終わると共に下校した。六時間目が市倉言うところの千春ちゃんの授業だったからである。
 基本的に貴臣の授業態度は突っ伏す一択で、それが許されない空間というのは居心地が悪くて仕方がない。教師の反応を気にするような殊勝さなどは欠片もなかったが、余っている残り中学生活一年間のためにこれから千春ちゃんを諦めさせる努力が面倒くさかった。
 丁度差す日も雲で隠れて、外が歩きやすい天気になったことも後押しになった。

 長く長く続く煉瓦造りの塀の切れ目にある木戸を抜け、御津藏本邸の敷地内へと入った貴臣は、壮麗な装飾を施された本邸の前の庭先で自分の従者が正座で説教されているのを発見した。正座している方も、させている方も、キャラメルのような明るい茶髪である。貴臣は正座をしている方の従者が嫌いではない。させている方はうるさいのであまり顔を合わせたくない。
 その両方を僅かの間天秤にかけて、結局貴臣は口を開いた。
「何やってんのぉ、お前ら」
 声を掛けると、二人とも、全く同じタイミングでこちらを振り返った。
 柔和な笑みを浮かべた方が、御堂島孝明。
「ああ、臣、おかえりぃ。助かった」
「孝明、当主を呼び捨てにするとは何事ですか?」
 いらだたしげに口を開いたのは、仁王立ちして説教をしていた方である。御堂島の双子の妹、孝枝だった。
 使用人の中には、貴臣のものと、御津藏家のものと、ふたつあるのだが、この二人はどちらも貴臣のものだった。
 休眠していた貴臣の立場というものは、御津藏家の中では宙ぶらりんで、御津藏家を回してきた連中からしてみれば、貴臣は暫定当主といったようなふわふわした地に足の着いていないものなのだった。
 その中で、貴臣の使用人だけが貴臣の側についている。気づけばそいつらとばかり行動を共にしている。それに気がつく度に、胸に鬱屈した感情が差す。鎧のない部分ばかり見せつけているような気がしてしまうのだった。
「当主、学校はどうしたのですか」
 孝枝に尋ねられ、内心舌打ちを零す。時間割を覚えてやがる。
「えぇっと、体調不良で早退、みたいな」
「どうして車を呼ばなかったのです?」
「歩きたい気分だったから?」
「その体調不良も、血液を摂取なさらないから」
 頭のどこかが切り替わった。
「煩いな」
 ねじ伏せるような声が出た。
 呑まれたように、孝枝が黙りこくる。
 それを見た貴臣は、肩にかけていた鞄を、力尽きたように落とした。
「あー、気分が悪い。部屋に戻る、しばらく誰も近寄るな」
 言い捨てて、使っている別邸へと向かった。
 うしろで、御堂島の「あーあ」という声が聞こえた。

 自室へ戻り、制服のボタンを外していると、先ほどの孝枝の声が脳裏で蘇った。
「血液を摂取なさらないから」
 すっ、と息を吸い上げて、しかし吐き出す言葉が見つからない。
 何がこれほど憤ろしいのかも分からない。
 下唇を噛んで、そして、制服を脱がないままに貴臣はベッドに倒れ込んだ。羽毛の柔らかさに顔を埋めて、そのまま息を吐き出す。何も考えたくなかった。目を瞑る。
「臣、臣ー? 起きてるでしょ?」
 遠くで、御堂島の声がした。
 鬱陶しい。
 少ししてから、扉が開いて閉まる音がした。
 貴臣は顔を上げなかったが、御堂島がベッドの縁に座ったようだったので、返事の代わりに僅かに指先を持ち上げた。
「制服、皺になるんじゃない?」
「……いいよ、別に」
「あのさぁ、あのババアは関係なくね、俺が頼んでも、臣はやっぱり人の血を飲みたくない? 俺は、臣にこのまま死んでほしくないから、おいしくなくても飲んでほしいよ。孝枝も似たようなことが言いたいんだと思うけど」
「知ってる」
「うん」
「知ってるけど、俺は」
 俺はこんな水底のような生活を続けるぐらいならこのまま死んでしまいたい。
 口が滑りかけて、貴臣はささやかな気遣いからそれを自重した。
「俺は、他人の血を口の中に入れるのなんか死ぬほど気持ち悪いし、それが知り合いのものだったらもっと気持ち悪い」
「んー……でもさぁ」
「それに」
 貴臣は、御堂島の言葉をぶった切った。
「血を飲んでさ、何も変わらなかったらどうしようね?」
 貴臣は、完全に俯せだった顔を僅かに横にずらした。呼吸がしやすくなった。
「俺は劇的に元気になるのかな? それとも、こんな常時睡眠不足みたいな体調が、今と何も変わらないまま続いて、ただ寿命だけが延びるのかな? その場合、俺が死ななくなったかどうかってどうやって調べたらいいのかな? また前みたいに病院で頭の先から爪先まで全部検査してみてわかるかな? わかんないんじゃない? 気持ち悪さが張り付いたまま、死ぬまで生きろって言うの? 今より条件悪くない? 全部やってみないとわかんないって言う? でも、俺は嫌だから、しないよ。気持ち悪い、すっごく気持ち悪い。そんな穢れが体内に残るなんて嫌だ」
「じゃあ俺も飲むよ」
「は?」
「俺も、臣と一緒に血を飲むって言ってるのー」
 貴臣は、体を起こした。
 御堂島の笑った顔を見つめて、しかし自分は怪訝な表情を崩せない。
「お前、何言ってんの?」
「我らは、どこまでも貴方と共に。御津藏貴臣」初めて会ったときと同じ言葉を、まるで冗談みたいに御堂島は言った。「みんなで一緒に穢れようぜ、臣!」
「…………、あーあ、あー」
 貴臣は再び布団に突っ伏した。面倒が極まって、喋る気力が無かった。
「どっか行って、御堂島」
 拒絶する以外にあろうか。
 何かもっと言うべきだろうなと思ったが、これ以上自分を嫌いになると手首のひとつでも切り落としたくなってしまいそうだったので、貴臣はそのまま目を閉じた。



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