その仕草から罪悪感が滲んでいるように感じられるのは何故だろう。諌名は、淡く甘く諌名をくわえたまま息を止めている貴臣の背中を見下ろした。橙色の薄明かりに照らされた白いワイシャツ。それよりも貴臣の肌の方が、青白く見えた。
「あなたは、どうしてわたしに嫌われると思うの?」
そう尋ねると、貴臣の牙が強く食い込んだ。
痛いなと思った。
「それを、とても不思議に思うわ。わたしは、一度も、あなたのことを嫌いだなんて言っていないはずだけれど、あなたはときおり、わたしがあなたを嫌いになったかと聞くでしょう? どうして?」
彼は、あぐ、と噛み直す。
「わたしの言葉を嘘だと思ったのは、どうして? 貴臣」
諌名は、緩やかに、貴臣の肩に自分の頭を預けた。
「わからないから、教えて」
数秒間の、空白。
それは、静かで。
やっぱり、とても、穏やかだった。
貴臣は、諦めたように牙を外し、そしてぽつりと呟いた。
「……諌名ちゃん、なんか、いっぱいしゃべるね」
「あなたが喋らないから」
「代わりに?」
「ええ」
「そう」
くすくすと笑い声が耳元で響く。
「あー、また吸血する前に満足しちゃった……だめだなあ、俺、一生吸血できないかもしれなぁい」
「そう」
「ねえ、諌名ちゃん」
甘えるような声で、貴臣は呟いた。
「俺って優しい?」
「そう何度も聞かれると、不安になるわ」
「ええ、その程度なの?」
「嘘はついてない」
「そぉ……」
貴臣は、うふふと笑って、諌名から離れた。ああ、離れるのか、と思った。
「あのね、諌名ちゃん、昨日、いらないって言ってって言ったでしょ」
「え……? ええ……言ったわ」
「あれと同じだよ、きっと。期待か、もしかしたら――」
貴臣がその続きを言い終える前に、がちゃんとドアから音がした。反射で体が強張る。
貴臣の顔から、感情がすっと抜け落ちた。
諌名に触れていた指先を離して、貴臣は椅子から立ち上がった。
がちゃ。
音がする。
扉を開こうとする音がする。
貴臣の視線は扉の方を向いている。
鍵が掛かっているのに、がちゃん、がちゃんと扉を開けようとする音は止まなかった。
がちゃん。
それは、とても――怖かった。
立ち上がろうとした諌名の肩を押さえて、自分は扉の方を向いたまま、貴臣は口を開いた。
「諌名ちゃん、ちょっと、ここで待っててね。それで、俺がいいって言うまで声出さないでいてくれる?」
「……どこへ行くの?」
「だいじょうぶ、諌名ちゃんの見えるところだよ。すぐそこ、ドアまでだから」
いい? と聞かれて、諌名は頷いた。
それを確認して、貴臣は一度感情を戻して微笑んだ。それが諌名のためであることを理解して、諌名は唇を噛んだ。
扉の方へ歩いていく貴臣の背筋の伸びた背中を見て、未だ鳴りやまないドアの音へ向かっていく貴臣を見て、諌名はそれを止めたいと思った。
どうしてそんなことを考えるのだろうと思って、胸の内を覗くような気持ちで、考える。
重なった。
記憶と。
諌名の記憶だ。
それは夜で、閉じていた、締め切っていた部屋の戸をからりとあけて、諌名の部屋へとあの方が入ってきた時の記憶。
閉じているのに。
入らないで欲しいのに。
それを、まるで気づかないような振りをして――
諌名は、貴臣の後ろ姿を見ることで、思い出してはいけない方向へと沈んでゆく思考を意図的にシャットアウトした。
ああ、
だから、鍵をかけたのか。
納得する。
入らないで欲しかったから、鍵をかけたのだろう。
それでは、
今、それを侵そうとしているのは、貴臣の外にいる人なのだ。
まるで自分のことのように漣立った胸に手を当てて、諌名はそっと息を吐いた。
© 2008- 和蔵蓮子