過反芻症候群


2-04


「……はっ?」
 叡士の心臓がきゅっと縮まった。
「確かに昨日の夜は明日聞くと言ったが、思いつかなかったならそう言え。別に嘘を吐いたわけではないだろうが、無理に考えることはない」
 ぶっきらぼうな三島の口調に、叡士の頭が真っ白になる。
「あっ はい いえ や、いえじゃなくて、はい、あの、あっ」
 まずい、落ち着け、日本語を話せ。
 嘘を吐いたとばれた。
 違う、嘘じゃないけど。
 いや、だって。
 そんなの、嘘じゃないだなんて、三島に、ほとんど初対面の三島に、わかるはずがないだろう。
 ずっと――叡士と十六年間は過ごしているはずの両親だって、叡士のことをわからないのに。
 待てよ、関係ない、両親のことは。関係、
 考えるほど混乱してゆく。
 バカ、コミュ障、死ね、バカ、バカ、
「葛川」
 三島に呼ばれて、眉がびくんと動いた。
「はい、すいませ」
「聞け。別に良い悪いの話じゃないが、その場しのぎの繕いは後から自分が苦しくなる。だから、止めた方がいいぞ。あと、責めてない」
「は、」
「責めてない。」
 ――すっ、と。
 安心感が広がった。
 三島の言葉は温度が低くてゆっくりとしていて、不思議なくらい耳にしなやかに入ってきた。
 頭に上った血が自然に下る感覚がして、叡士は自然に頷くことができた。
「……あ、りがとう、ございます」
「別にいい。私は何もしていない。君が一人で焦って一人で落ち着いたんだ。加えて、今の言葉は以前世話になった教師の受け売りだ」
 変わらず淡々としている三島は、話題を切り替えるように懐から小さい透明なケースを取り出した。
 ケースの中には、すこし厚みのあるバングルのようなものが入っていた。素材はおそらくシルバーで、装飾が少ないそれは雑貨屋にでも売っていそうな小洒落たデザインだった。
「さて、今後はこれを肌身離さずつけてもらうことになる」
「バングルですか?」
「GPS発信器付きのな」
 さらりと言われたので流しそうになったが、口を開く前に三島が捕捉した。
「監視人員をつける代わりだ。肌身離さずつけてくれ。あと、君には機関の寮に入ってもらうことになる」
「寮、ですか」
 今までに集団生活を送ったことなど数えるほどしかない叡士は不安に襲われた。
「ここ……総合病院の奥、機関の施設群の中にある。ちなみに完全個室で鍵付きだ。入居しているのは機関の者やそれに準ずる者だけだから、もし何かあったとしてもたいして問題にはならないしな」
 『何かあっても』という一言に恐怖心を煽られたが叡士は撤回などできない。
「いつから入居するか、なんだが」
 三島は叡士と視線を合わせた。
「どうする? 家具などは備え付けだし食事は食堂があるし、入ろうと思えば明日の朝にでも入れる」
「あ、はい、あー、えっと」
 えーと。
 いろいろ考えたいことはあるような気がするが、質問をされると焦ってしまう。
 何かこの部屋に居て困ることがあっただろうか。――いやちょっとまて、よく考えたら、別に病人でもないのに病棟に居座るというのは。
 思った途端に気が引けた。
 それに、
 叡士は部屋の入り口、スライド式のドアに目を遣った。
 この部屋には、鍵がついていないのだった。病室はどこもそうなのだろうか?
 これは地味に叡士の精神ポイントを削る要素だったので、できれば早く鍵付きの部屋に移りたい。
「それじゃあ、それでもいいですか。明日で」
「それでは、これに署名してくれ。あとは私が手続きをしておく」
 三島はファイルから入寮申請と書かれた紙を取り出し、ベッド脇の小机に置いた。





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