過反芻症候群


1-06


 聞き慣れぬ言葉より何より、それがまるで忌まわしい何かであるかのような三島の口調に戦いた。
 あわき、と聞こえたが、叡士には相変わらずに意味がわからなかった。
 わからなかったが、張りつめた空気の中、発声する勇気なんて一切合切持っていない。叡士はただ、何も言えずに黙り込んだ。目を見開いて、三島の目から視線を逸らすこともできないまま、ただ馬鹿みたいに硬直していた。
 考えることすらできなくなった叡士の哀れな様子を見てか、三島はふっと緊張を緩めた。
「……ここで私を殺さない所を見ると、今の意識はどうやら侵犯者ではないらしい。まあ、機関内に抑止力が揃っているときにわざわざ現れる阿呆でもないだろうがな」
 知らずに止めていた呼吸を復活させる。
「それ……どういう」
「葛川」
「は、はい」
「今の問いでわかったかもしれないが、君の体内には禍系侵犯者の重要人物、「檍」が巣くっている可能性がある。……可能性、という言い方をしたが、我々はまず確信している。そして、現在の君の意識が葛川叡士であったとしても、今後時が経つにつれ檍の意識が表層へ出てくる恐れがある。ただ巻き込まれただけの君には申し訳がないが、檍の死亡が確認されるまで、君の身柄は機関の監視下に置かれることになるだろう」
「監視下」
「ああ。監視とは言っても、二十四時間カメラや盗聴器付きの部屋で暮らせとは言わん。まあその辺は後日説明しようか」
 三島は懐から取り出した時計を見た。
「……君も疲れただろう。そろそろ私は引き上げる」
「ちょ、っと、」
 こんな、ここまで途方に暮れた自分を放り出していくのか、この人は。
 しかし三島はにべもない。
「それでは、今夜一晩私の言葉を反芻しておいてくれ。その上での質問は明日聞く。気を紛らわしたかったらナースコールして矢野でも呼んで遊んでもらえ。テレビだろうがなんだろうが、この部屋のものは自由に使っていい。眠れなかったら薬に頼れ」
 言いつつ、三島はきびすを返して扉へ向かった。
「……ああ、大事なことを忘れていた」
 扉の自動開閉ボタンに手を掛けたところで、三島が半身だけ振り返った。
「君の私物……携帯電話だとか、鞄類だとか。もうほとんど使い物にならなくなっていたよ。すまない。その辺はこちらで弁償するが、後でちゃんと詫びに来る」
「……ああ、いえ、それは全然、」
 不意によみがえったテストの記憶。
 ――携帯や教科書ノートは少々困るが、返却された答案がもう人の目に触れない場所へ行ってしまったことに酷く安心した。
「しかし面白いことに、外側の鞄は無惨な姿なのに奇跡的に鞄の中のものは折れ曲がったり多少の汚れが付いているだけで済んでいる」
「えっ」
 思考回路がショートした。
「一応洗浄して保管しているが、対禍部隊内の大多数から事故に紛れて紛失したことにしてはどうかという提案が来ているが、どうする」
「えっ? えっ、それ、まさか、俺の、僕の、答案のことですか」
「ああ」
「えっ えっ、今 えっ 対禍部隊内の大多数って言いまし、え、言いませんでしたか」
「ああ」
「大多数があれを見たんですか あの点数を」
「君は少々英語と国語と数学と物理と化学が苦手らしいな。得意な教科は音楽か?」
「ぎゃあああああああああああああ」
 オーバーキル! オーバーキル! まずい、死ぬ! 俺の心が死んでしまう!
 叡士は頭を抱えて掻きむしった。
「なんてことをしてくれるんですかーっ! 何で見たんですかーっ! ああああーっ!」
 三十二点と四十点と十七点と二十八点と四十五点を見られた、見られた、見られてしまった! しかも大多数に! 大多数に!
「悪い、洗浄したり身元確認のために開封は仕方なかった」
「何で俺に言う前に燃やしてくれなかったんですか! うわあああああもうだめだうわあああああーっ」
「どうした、少し落ち着け」
 若干引いている三島の様子も目に入らずに狂乱している叡士は誰にともなく謝罪を始めた。
「これで落ち着いていられるものかっ! 許して! こんな俺を許してください! ごめんなさい! もう嫌だ!」
「わかった、君があれに向き合えるまでこちらで保管しておこう」
「う、うっぐ……う……うう……」
「それじゃあ、おやすみ」
 悶え苦しむ叡士を残し、三島は部屋を出て行った。





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