露出した肌は鮮烈なアイスブルー。透明感を伴ったその色は叡士の目に焼き付いた。
肘より十センチほど手首寄りの位置にはおどろおどろしい黒い文様があり、それはまるで蜘蛛の巣のように縦横の線が組み合わさった形で……強いて言うなら雪の結晶のようにも見えた。
「こういう」
三島の声で我に返って、叡士は視線を上げた。それを真正面から受け止めて、三島は話を続行した。
「こういう印を、持っている奴。それは、禍系異形と呼ばれる」
三島はすっと袖を元に戻し、左手で器用にボタンを嵌め直した。
「もう一つの方は特殊だから、今は知らなくてもいいだろう。――さて、その異形共が上層に出てくるにはこちらの許可が必要なんだが、奴らはそれに納得が行っていない。だから、隙あらば出てこようとする。隙を作ってでも、出てこようとする」
吐き捨てるような三島の口調と見せられたアイスブルーに気圧されて、叡士は言葉が出てこない。
「当然だが、それを許す訳にはいかない。奴らの侵犯を防ぐのが、我々対禍部隊の仕事。対禍部隊の所属する組織――機関は、対異形の拠点として総合病院の奥に設置されている。……ここまでは理解できたか?」
尋ねられても、返事ができない。
理解以前の問題で、叡士はひたすら混乱中。何が本当で何が……違うのか。三島の言うことを信じてもいいのか、あらゆる全てに現実味がなく理解不能。わかりたいのだかわかりたくないのだか、それすら叡士はわからない。
こんなぐちゃぐちゃとした自分の心情を口に出すのはひどく憚られた。
今は理解を望まれていることだけがわかっているので、叡士はとりあえず頷いてみる。
それを見た三島は眉をくいっと動かした。
「……まあ、どちらでもいい。さて、禍系侵犯者の重要人物と、それを阻止する対禍部隊の境界戦争。本来ならもっと人気のない場所で行われるはずだったそれが、本日午後四時四十五分前後、三条ビルで始まっていた」
「あ……」
三条ビル。ようやく聞き覚えのある名前が出てきたことに安心し、叡士は三島の次の言葉を待った。
「そう。君がグロ物体になったあの事故……事件は、それだ。君はビルの倒壊に巻き込まれ、その際に取り返しの付かないほどの損傷を負った。私自身があの場でこの目で確認したよ。しかし、君は、君の体は、今現在も生きている。それはなぜか?」
畳みかけるような口調に叡士は少し不安を感じた。
「理由が、それだよ」
三島はすっと左手を伸ばして、肌色の指で叡士の首もとを指さした。
「……はっ?」
「自分で、その目で、確認してみろ。鎖骨の下だ」
言われるがままに視線を落とし、指先でそっと合わせた服の襟を少し開いた。
そこには。
「……なんだ、これ?」
見慣れた肌に……見慣れぬ刻印。当然のように肌になじんでいるその文様は、まるで歪んだ文字列のように見えた。
理解が追いつかず、今まで聞いた話が頭のなかでぐるぐる回る。
しかしそれと平行して、まだ三島が狂っていてあの写真もコラージュでこれは寝ている間に勝手に入れ墨を入れられてしまっただけなのではないかという疑いも駆けめぐっていて、
叡士はこみ上げてくる吐き気を抑えようと息を止めて口を押さえた。
『こういう印を持ってる奴が、禍系異形と呼ばれる』
数分前に聞いたばかりの三島の言葉が脳内に反響する。
これは、もしかして、これはつまり。つまり?
「もう銭湯には入れないだろうな。……ああ、肌色の湿布でも貼れば大丈夫かもしれんが」
何言ってんだこの人。
思考をぶった切られた叡士が三島を見上げると、彼女は変わらず能面だった。
「まあ、ここまでの話は前座だと思ってくれ。本題だ」
「……前座?」
この破壊力で前座とは。叡士は来る衝撃に備えて、指に力を込めた。
「これで、前座なんですか」
くぐもった叡士の声に対して、三島の声は明瞭だった。
「ああ。 君の鎖骨のその印、それはとある侵犯者と同じものだ」
叡士の脳内で、先ほどの涼子のセクハラがよみがえる。
『アレは確認したよ。変わらず、一致でーす』
『わかった』
あれは、これの確認だったのか。
一致と言ったが、それは一体誰と……何と、なのだろう。
「君が今日まで異形ではなかったことは確かだ。それなのに現在の君は異形で、実際に治るはずのない致命傷をもものの数分で回復させている。つまり、三条ビルのあの事件を切欠に異形化したということ」
三島の雰囲気が変わった。叡士の背中に寒気が走る。
怖い。
硬直している叡士を見下ろし、三島は淡々と言葉を落としていった。
「君の体は、異形だ。君の印は侵犯者のものだ。さあ、もう一度聞くぞ。君の中身は、葛川叡士か。それとも、――檍か?」
© 2008- 乙瀬蓮