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過反芻症候群


1-02


 ――寝苦しい。
 叡士は、胸に感じる妙な重さに目を開けた。寝起きのその目に映ったものは、白くて清潔な室内と、自分の腹にまたがるナース服の女性。
「あ、起きたぁ?」
 少々舌足らずに笑ったその女性は、とろりと微笑んで叡士の胸にゆっくり手を伸ばした。
「おっはよぉ、少年。すぐに済むから、ちょっと大人しくしててねえ」
「えっ?」
 見上げた女性の表情は楽しげに輝いていて、叡士の混乱に拍車を掛ける。
 すぐ済むって、何が? 何が済むの? 俺は何を済まされるの?
 女性から仄かに漂ってきたアルコールの香りに死ぬほど面食らって、叡士は思わず後ずさった。後ずさろうとした。しかし女性に肩を押さえつけられて動くこともできず、起きあがることすら許してもらえなさそうな体勢である。
 目まぐるしく飛び交う脳内思考。とりあえず黙っていてはだめだと叡士は口を開いて畳みかけた。
「いやあの、何ですか、これは何なんですか、何の罠ですか、あなた誰ですかどこですか!」
 しかし飛び出たのは裏返った情けない声。不甲斐なさになけなしの気概も消え去りかけたが、そのナース服の女性は意外とちゃんと答えてくれた。
「主語はしっかり話そうね。ちなみに四番目の質問にだけ答えてあげるけど、私の名前は矢野涼子だよ。涼子さんって呼んでねぇ」
 にっこり笑顔を向けられた。
「最もどうでもいい部分じゃないですか! 名前を教えてもらったところで何の救いにもならないんですけどっ」
 そんなことを言っている間に涼子の細くて冷たい手が叡士の鎖骨に触れた。血の気が失せる。
「やっ、やめてくださいやめてください! 俺を脱がさないでください!」
 自らに訪れた初めての貞操の危機(?)に叡士は必死で涼子の手を払いのけ、淡い緑をした入院服の胸元を押さえた。
 ――入院服?
 はた、と認識した。
 叡士は今、入院服を着ている。今自分を襲っているのはナース服を着た涼子さん。自分が寝ているのはベッドの上。白い内装の室内。
「……病院?」
 今、叡士は病院に居るらしい。何気なく認識していた環境だったが――おかしい。どうしてだろうか。
「あの、俺はどうしてここに」
 見上げると、涼子は顔を上気させて息を荒げていた。
「はあはあ可愛い反応だねぇさっすが男子高校生初々しいなァたっまんねー、ねえマジでお姉さんといいことしない?」
「うわあああ駄目だこの人マジで話聞いてねえー! やめて助けてー!」
「やめんか」
 ゴッ。
 重い音が響き、叡士に座っていた涼子の頭がぐらりと傾いだ。ボブカットの髪が豪快に乱れる。
 救世主登場。ベッドの横に、腕を振りかぶった姿勢の女性がすっくと立っていた。髪をひとつにまとめてスーツを着用したその人は、整った顔を思いきりひそめて涼子を見下ろしている。苦虫を二百匹ぐらい噛み潰していそうな表情。病院の人だろうか。
「バカが……」
 驚くほどに怖い声。怒られているのは自分ではないのに、叡士の体がすくみ上がった。
「い、痛ッたぁいなあ桂ちゃん、流石だねえ桂ちゃん、その変わらぬツッコミの冴えに乾杯」
「意味がわからん。さっさとそこから降りて、そいつに一言詫びてから去れ」
「うへーい」
 この人には逆らえないんだ、と叡士にこっそり囁いてから、涼子は叡士のベッドを降りた。
 体が軽くなったので、叡士は急いで体を起こして開いた襟を掻き合わせる。
「アレは確認したよ。変わらず、一致でーす」
「わかった」
「……?」
 叡士にはわからない会話を交わし、涼子は素早くサンダルを履いた。
「それじゃあ、またねー男子高校生。ばいばーい!」
 涼子は叡士に手を振って、スーツの女性の肩をぽんと叩いてから軽やかに歩き去った。





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