群青




C01-B002
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 一縷と香屋埜は揃って人間椅子の入り口の方を見る。揺れた香屋埜の髪から煙草の香りがした。
「あっ、どうも」
 扉を半端に開けたままこちらを向いて、気の抜けるような声を上げたのは、三十代後半くらいの男だった。服装は無地杢グレーの半袖ワイシャツと、ジーパン。髪はこざっぱりとしている。ちゃんとしている。
「やあ、どうも、こんにちは」
 隣で香屋埜が立ち上がろうとしたので、一縷はそれを介助した。
 からんからんと音を立てる扉を後ろにして、男がやはり気の抜けたような顔でこちらへやってきた。そして我々へ向かって会釈をした。
「どうも、えーと……お二人が」
「ええ、探し屋パラノイドです。わたしが店主の香屋埜で、こちらは役に立つ助手の一縷くんです」
「……どうも、一条一縷です」
 言葉を選んでいる様子の男が、一縷の名前を聞いておやっという顔をした。
 紫機流から来たお客さんだから、紫機流の顔を知っているのだろう。
「では、本題をお伺いしましょう」
 そろそろ座ってみませんか、と香屋埜が言うと、男性はああと曖昧な声を上げてから座った。
 
 しばしのコーヒー・ブレイクを挟んで、香屋埜はさてと切り出した。
「お名前を伺ってもよろしいですか」
「はあ、ぼくは」
 男は視線を彷徨わせたあげくにコーヒーカップに手を付けた一縷の右目とがっつり視線を合わせてしまった。
「あ」
 そして間の抜けた声を上げる。
 この男は随分と――ぼうっとしてらっしゃる。
 酷い言い回しを思いつきそうだったので、一縷は自制した。
「そちらの、方の、目は……」
 男の視線が集中する、一縷の右眼は義眼である。頭蓋骨や頬骨と共に潰れてしまった右眼のかわりに一縷が眼窩にはめているのは人形の眼だった。視力はない。
「ちょっとした事故ですよ」
 香屋埜がそう言ったので、一縷はそれを否定した。
「事故ではないですね。あれは故意でした」
 男はそのやりとりを聞いて、にわかに顔に緊張をみなぎらせて、体を乗り出した。
「それは、どういった理由で失われたのですか」
 深く聞かれるだなんて思っていなかった一縷は、意外に思ってぱちりと瞬いた。
 別に隠すことではない、と思っているので、平然と告げる。
「五歳の頃に、飛び降り自殺で」
 一縷の返事を聞いて、男は折角得た元気を再び失った。そして、一度頷いた。
「そうですか……ああ、いえ、実は、僕の探しているのは、眼球なのです」
 僕の娘の、眼球です。
 男の、これまでぼうっとしているようにしか見えなかった眼の奥に、虚ろさが覗いたような気がした。



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