約束の時間まではまだ多少余裕があったため、一縷と香屋埜はドアの見えるテーブル席に座り、コーヒーを注文した。革張りのソファは壁際に置かれたランプの光を反射し鈍く輝いている。ガラスのテーブルの上にはメニューが置かれていたが、一縷も香屋埜もそれには手をつけなかった。
喫茶店人間椅子に窓はない。それが良くて一縷も紫機流も通っているのだが、一縷なんかは、しばらく読書に沒頭したあと、ふと不安になったりもする。一体何時間くらい沒入していただろうか。わからなくなるのだ。外の明るさというものは存外安定の助けになっている。この島にいれば冬の始まり頃になると窓が見えていても不安になるが、それは緯度のせいだった。
ぼうっと時計を見ていた一縷は、深みのある香屋埜の声に名前を呼ばれて我に返った。
「一縷くんよ」
「はい」
「私が昨日見た夢の話をしてあげようか」
「いいです」
「何故だね、聞きたまえよ」
「いえ、だって、香屋埜さんの夢、聞いていて疲れるじゃないですか」
「今日のはシンプルだよ。昔の夢だ」
「昔の?」
一縷は左を向いた。横目でこちらを睨んでいた香屋埜は、元から細い目を更に細くした。
「私達がセーラー服を着ていた頃の夢だよ」
彼女の言う私達とは、香屋埜と紫機流を含む数名の交友グループのことだ。一縷はいつも彼女らに揉まれている。
「香屋埜さんもセーラー服を着ていたんですか?」
「ああ、私は無論のこと学ランだったさ。昔からね」
高校時代からそんな倒錯した日常を送っていたのか。
そう思ったが、どちらかと言えば、三十を超えて倒錯している方が問題があるだろうか?
自分の十年後を想像すると笑えない。
「キミの叔母さんはセーラー服を着るために生まれてきたように似合っていたよ」
「まあ……そういう顔をしていますね、彼女は」
「その紫機流にそっくりだから、キミにも似合うんだろうけれどなぁ……空木女子はブレザーだったね、残念だ」
「何の話でしたっけ?」
「私の夢の話だ」
ふつりと会話が途切れた。
一縷は再び奥の壁にかけられている時計の振り子の往復を数え始めた。
結局、夢の話は聞いていないじゃないか。
時限爆弾のようにじわじわと興味が疼きだしてくるのをこらえていると、からん、と金属質なドアベルの音が鳴った。
© 2008- 和蔵蓮子