くちずさむ理由




剣聖?
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 深く息を吸って、吐く。よし。大丈夫だ。槍の柄をぐっと握りしめる。笛は胸元にちゃんとかかっているし、先輩だって横にいる。衛兵の詰め所だってすぐそこにある。呼べば、すぐ来る。いつもはレオのことをからかってばかりの先輩たちだが、頼りになるのだ。
 ――このように様々なことが心配なのは、今日が、レオにとっての初めての夜勤だからなのだった。
 レオは志願兵である。ラゥゼ・グランド・ルァジリア同盟の連合軍ではなく、生まれ育ったこの街、レイニの領主さまの私兵として、成人した頃からずっとお仕えさせていただいている。領主さまの家は何代も続く名家で、かのロザリア王家との血のつながりもあるという噂を聞く。
 それなのに、最近はこの街に出入りする隊商が盗賊に襲われるという事件が頻発して止まないのだった。
 街の周辺の警邏は連合軍の管轄であり、レイニの私兵は手を出せない。――戦力的な意味に置いても。
 レイニの街の中にも連合軍の駐屯地があるにはあるが、彼らの仕事は他にあり、手は回りきっていない。
 連合軍に、賊の掃討を申請したという話も聞くが――一向に軍が来る様子は無いので、レオの連合軍への評価はだだ下がりだった。
 本当だったらレオが乗り込んでいって成敗してやりたいのだ。
 心優しい領主さまはきっと気に病んでらっしゃることだろう。
 けれど、レオにできるのは精々門番くらいである。
 ぐぬぬ、と唇を噛んでいると、先輩の槍が動いた。はっと気づき、レオもそれに習い、門の前で槍を交差させる。
 半時ほど前から見えていたふたつの人影が、とうとう門の前までやってきたのだ。
 片方は小柄で、黒いマントの上に何か棒状のものを背負っている。武器かもしれない。もう片方は前髪が長く、黒革のトランクを両手に持っていた。武器かも知れない。小柄な方と比べると大きく見えたが、どうやらそれはあくまでも「比べれば」の話だったようで、目の前に来てみればレオが十四、五だった頃と同じくらいの、平均的な体格に見えた。
「ここか……」
 風になびく、青みがかった黒の前髪を鬱陶しそうに掻きあげながら、小柄な方の人影がその小柄さとは似合わない溌剌とした声でそう呟いた。レオなど目に入っていないかのような素振りである。
「ルイス、そんなに鬱陶しいなら前髪切ったら?」
 その背後にひっそりと佇んでいた前髪の長い少年が、のんびりと答えた。小柄な方の少年が、その言葉を聞いてがばっと振り返った。驚いて、手に持った槍がかつんと音を立てる。
「ばかばかっ、オニキス! お前、この前髪のかっこよさがわかんねーのかよ! ほんとセンスねーな!」
「なっ、そんな非道いこと言わないでよ! ルイスいっつもセンスセンス言うけど、ルイスの選ぶ服いっつも同じようなのばっかりじゃん!」
「何だとこら!」
「おい、そこの二人」
 門の前で喧嘩を始めようとした二人が、先輩の声に、ん? と振り返った。
「喧嘩する前に身分を証明するものを出してくれ。困る」
 先輩は相変わらず渋い。
 レオは二人を睨みつけながら追随して頷いた。
「はい? 身分証明書? んなもん無いけど」
 ぽかんとした顔で、ルイスと呼ばれた少年はそう答えた。あまりにもあっけらかんとしているので、レオも数回瞬いた。
「無かったら、レイニには入れられないぞ」
「そ、そうだ。今この時期は危ないから」
「えぇ? でも、呼ばれて来たんだぜ、私ら」
 呼ばれた?
「ああ、ルイス、ほら、あれ見せればいいんじゃない? ここの街の領主さんからのお手紙」
「手紙でも証明になる?」
 ルイスに聞かれて、レオは先輩を見た。先輩は眉を寄せて、「とりあえず出して貰おうか」と言った。
 両手にトランクを持っていた少年が、しゃがんで、鞄の蓋を開けようとした。
「オニキス、それ私の方」
 ルイスが口を挟む。
 お前の分も持たせてたのか!
 レオは眉を顰めた。
「ああ、あったあった」
 オニキスは、一枚の――一見しただけで上等だとわかる羊皮紙を持って、立ち上がった。
 その時、レオは初めてオニキスと呼ばれる少年の前髪の隙間から、瞳を見た。
「ひっ」
 息を呑む。
 人間で言う白目の部分が黒く、瞳孔は蠢くうつくしい金色。
 魔物だ。
「う、うわああ」
 思わず笛に手を遣ると、先輩が鋭い声でレオの名を呼んだ。
「あっ、ごめんなさい、すいません」
 オニキスはぱっと前髪を押さえて、ルイスの後ろに下がった。
 あれ。
 意外と、食べられなさそうな――いや、それも魔物の罠かもしれない。
「ルイス、パス、パス」
「おいこらテメェ、何うちのオニキスびびらせてんだこら、あァ?」
 オニキスと言う名の魔物から羊皮紙を受け取ったルイスは、この上なく尊大に顔を上げて、レオを睨みながら大股で近寄ってきた。その目は金色だが――魔物と違って、蠢いてはいない。
「ほらよ、よく見ろ!」
 目の前に突き出された羊皮紙の、高級なインクで認められた宛て先を見る。
「ラゥゼ・グランド・ルァジリア連合軍、特殊部隊ロザリア、ルイス・ヴァレンタイン中尉……? え!?」
 レオは、三度ほど文面を読み直した結果、賊の討伐のために招聘されたのは、かの『剣聖』であるルイス・ヴァレンタインであることを知った。
「あー、ちょっと、今は降格されちゃったから中尉じゃなくて少尉。そのごたごたのおかげで到着も遅れた。それはちょっと申し訳ないと思ってる……許して?」
「なるほど、わかりました。それで、剣聖はどこに?」
 ごっ、と突然頭の横を拳で叩かれた。
 傾いだ体勢を戻すと、そこには頬を膨らませたルイスが――ルイス?――いやまさか――
 ぷぅっと頬を膨らませたまま、足でだんっと地面をついてから、人差し指で自分の胸を指す。
「私だよっ!」



 信じられない。信じられない――
 レオは、口笛を吹きながら隣を歩く、自分よりも小柄な少年を横目で見た。
 これが、かの『剣聖』なのか――?
「あのー……」
 声をかけると、ルイスはあっさりこちらを見た。さきほどの怒りはどこかへ消えてしまったらしい。
「何?」
「失礼ですが……少尉は、お幾つですか」
「ほんとに失礼だなおまえ! えっとなー、オニキス、いくつだったっけ」
 ルイスは歩きながら空中に向かって問いかけた。レオが怖がるので、オニキスはルイスの影の中にひそんで貰っていた。連合軍の特殊部隊の中には、魔物と契約をしている者も珍しくはないと――話では聞いていたが、実際に見てみるとやはり恐ろしかったのだ。
 それがどんなに幼い外見をしていても。
「覚えてないよぉ、そんなの」
「何忘れてんだよ」
「ルイスだって覚えてないじゃん」
 なんだろう、この緊張感の無さは。
 はぁ、とレオは溜息を吐いた。
「ああ、吐きましたよ。ここが泊まっていただく宿です。明日からは領主さまのお屋敷に行っていただくと思いますが、今日はひとまず」
 そう言うと、ルイスはあははと笑った。
「いや、明日には帰るから、大丈夫大丈夫ー」
「そ、それはどういうことですか」
「すぐ終わらしたらいいんだよ、こんなもん」
「は……」
「だからさ」
 ルイスがそう言うのと同時に、宿屋の灯りでルイスの影が石畳の道に映し出された。
 逆光で金色の目が光る。
「明日の夜までには終わらせるよってこと」
 しゅるん、と、ルイスの影から魔物が――オニキスが、姿を現し、ルイスが持っていた二人分の荷物を手に持った。その金色の目も、レオを射抜くようにこちらを向いた。
「じゃあ……あの、すみません。おやすみなさい」
 けれど、その口から出てくる言葉はおどおどとしている。
「おやすみレオ。明日の朝迎えに来てな、私起きないから」
「ルイス、任務でぐらいちゃんと起きようよぅ」
「やだよ」
 その二人の言い合いを見ていると、どうにも、レオや同世代の奴らが十五、六だった頃にしか見えなくて。
 とても、彼らが盗賊討伐のために派遣された軍人だなんて思えなかったのであった。



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