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くちずさむ理由




仏の顔も三度まで
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 夢を見ていた。
 それが夢であることはずっと前から気づいていたような気がする。けれど、ゼロは動くことができなかった。
 窓から吹き込む風と雨に煽られて部屋の中を舞う羊皮紙の中で、何の表情も浮かべていないその人のことを見つめたまま、夢の中でも、ゼロは動くことができなかった。
 これは記憶だ。
 この夢は、あの日の色褪せない記憶を再生しているのだ。
 わかってはいても、ゼロはその光景に引き込まれる。抜け出すことはできない。
 その時は、ほとんど反射のようなもので、干したままのシーツを取り込まなければ、と考えたのを覚えている。
 開け放した扉に縋り付くようにして立ちつくして、羊皮紙が散乱した部屋の中央に立つその人を見つめながら、そんな些細でどうでもいいことを、考えたのだ。
 そして、
「ゼロ」
 彼がそのように呼んだ瞬間、気づいてしまった。
 ――ああ、わたしは。
 この結末を、知っている。


「おい、あんた。寝てるのか?」
 目が醒めた。
 頭を上げると、隣に座っていた丸い顔の商人がゼロの顔を覗き込んでいた。目があって、ぱちりと瞬くと、彼はまるで呆れたと言いたげな様子で溜息をついた。
「よく眠れるな、こんなガタガタ揺れる道で」
「……ああ、そうですね」
 眠るのは得意ですから、などと答えながら、手袋をした左手で目元を押さえた。そのまま、ゼロは大きく息を吐いた。嫌な夢を見た。
 ――いや、
 指先に力がこもる。
 あれを、嫌なことだなんて思ってはいけないのだけれど。
 戒めるように首を振り、ゼロは再び瞬いた。
 荷馬車の天幕に当たる雨の音がにわかに激しくなってきた。大降りである。
 あんな夢を見たのはこの雨のせいかもしれないと思った。睡眠は、その質は、環境に依存する。だから、就寝する際の環境は大切なんだ、と口癖のように言う惡夢持ちの知人の医者を思い出す。いつも逃げ出すように出てくる彼の住処は、ゼロが掃除をしなくなってからしばらく経った今、どれほど散らかっているだろう。
 この暗い発想の飛躍は、雨のせいだろうか。
 考え続けるゼロの横で、まだ若い商人は胡散臭そうな目でこちらを見て、小言を続けた。
「しかし、アンタは護衛で雇ってるんだから、ちゃんとやってもらわなくちゃ困るんだが」
「ええ、ごもっともです。けれどわたしは休憩時間でしたので……」
 彼の話は適当に受け流し、ゼロは荷台の後方から外の様子をうかがった。どうやら、数メートル先も見えないような雨足である。これはどこかで休憩を入れた方がいいな、とゼロは思った。視界が悪すぎるのだ。この隊列は護衛が四騎に荷馬車が三台である。先頭の二騎に進言すべきだろうかと思ったが、そうこうしている内にひらけた場所へ到達した。野営の予定位置だろうか、とゼロが腰を浮かした瞬間、後方から襲撃を告げる叫び声が聞こえた。
 ああ、やっぱり。
 半ば納得気味に、ゼロは立ち上がった。おい、と声を上げた商人にそこを動かないでくださいと告げ、ゼロは馬車から飛び降りた。
 途端、足下に矢が刺さる。
「狙撃手あり!」
 声を張り上げつつ、ゼロは矢の飛んできた方角を見定めようとした。しかし降り続く雨が邪魔で、狙撃手の位置が把握できない。腰だめの姿勢でナイフを引き抜き、ち、と舌打ちを鳴らす。条件としては最悪だ。向こうの人数もわからないままこの視界で交戦とは。
「おい、坊ちゃん! そっちに一人行ったぞ!」
 左方向、後方の護衛から飛んできた声とほぼ同時に、長い棒のようなものを持った影が突っ込んできた。
 刃先が鈍く光ったのを見て、それが短槍であることを確認、ゼロは更に舌打ちを零す。一番苦手な距離ではないか。即座に右手で投擲用のナイフを数本引き抜いて、槍持ちに放った。丁度目の位置に当たったらしく、槍持ちが濁った悲鳴を上げながら立ち止まる。その隙を衝いて、ゼロは刺突に特化したナイフを握り込んで、槍持ちの喉に深く突き刺した。


「いや、あんた、よく働いてくれたよ」
 引き攣った笑顔を浮かべた商人の男は、今はもう動かなくなった襲撃者達を見ないようにして、ゼロに向き直った。ゼロは自分の体のどの部分に泥がついているのかを確認していたので、生返事で答えた。どちらかと言えば泥がついていない部分を探した方が早そうな有様だった。これは、次の街で買い換えた方がよさそうである。
「肉壁にでもしようかと思ってたんだが、ちゃんと戦闘技能はあったみたいで安心した」
 その言葉で、ゼロはようやく顔を上げる。
「正直が過ぎませんか?」
 苦笑すると、商人は空笑いを立てた。
「いや、まさか、こんなことになるとは思っていなかったものでね」
 こんなこと。
 彼の言う「こんなこと」とは、平たく言って、隊商の護衛側が完膚無きまでの勝利を収めてしまったことを指すのだろうと思う。確かに、とゼロは思った。無造作に視線を地面に転がる骸の方へ向ける。ゼロ達は、盗賊と思しき連中を全滅させてしまったのである。全滅。壊滅。どちらでも構わない。とにかく、勝った。
 そう、彼らは、弱かった。
 ゼロは内心首を傾げた。あまりにも弱すぎやしないか、と思うのだった。念のため周囲の探索もしてみたが増援が来る様子も無く、盗賊団と言うにはあまりにお粗末だったのだ。
 その身なりを見てみたところで、特に困窮した様子は感じられなかった。盗賊を稼業とする理由は様々あるが、困窮に耐えられず身をやつした者達ではなさそうだった。
 そうすると、盗賊団のひとりひとりの練度の低さが不思議に思えてくる。ゼロと交戦した槍持ちなどは、本当に槍を持って突っ込んでくるだけであった。戦法も戦術も何もない。
 そう、まるで、武器だけ与えられて、襲撃を命じられただけの人間――彼らがそうだったとしたら、しっくりくるのだ。
 ゼロは少し考え込んだ。
 そして、考えることをやめた。考えてもわからないことだ。ゼロが持つ情報では判別のできないこと。加えて今回の職分ではない。割に合わないことはしないことにしている。
「何にせよ、早く街に着くに越したことはありません。重々気を付けていきましょう」
 商人を振り向くと、彼はふいに真面目な表情を浮かべて、頷いた。
「街まで、よろしく頼む。親父から預かった大事な荷だからな。ちゃんと届けたい」
 その、唐突に真面目になる様がゼロの知っている誰かに似ているような気がして、ゼロは思わす苦笑した。
「ええ、任せてください」



 ようやく見え始めた街の灯りに、ゼロは安堵のためいきを吐いた。後方から強く吹きつける風に押されて、一つに結んだ髪が肩を越して流れてくる。明るいところで見れば緑がかって見えるそれも、日が沈んだ今は真黒にしか見えないはずだった。
 後ろに向かって、見えましたと叫ぶ。これから小休憩を挟み、街まで一気に行ってしまうのがいいだろうと思う。
 ゼロが護衛として参加しているこの隊商が向かうのは、ラゥゼ・グランド・ルァジリア同盟北東部に位置する交易街のネイブルだ。ネイブルは常に商人達の声が途切れない街だったが、もうすぐ闘技場が開くセルセとの中継地点にもなっているために、この季節は更に騒がしい。
 セルセには主神ラウゼの神殿があるので、普段は信仰者たちの巡礼地としてそこそこにぎわっているのだが、一年の内のこの時期、冬が始まる直前は、豊穣を祝って武闘会が開かれる。ロザリア同盟首都グラン・グランからも人がやってくるような大きな祭りのため、出店やなんやと大変にぎやかになるのだ。この隊商も、ネイブルを経てセルセへと向かうものである。
 この隊商を送り届けた後は一旦仕事が無くなるので、すこし街を見て回ろうかとも思っている。ゼロはそれを少し楽しみに思っていた。
 このように、商人の護衛を――旅を始めてから、もう一年は経つだろうと思う。
 そろそろどこかに落ち着きたいと思う反面、こうして行ったことのない街へ訪れることが楽しくなりはじめている自分を自覚していた。自分の出自を考えれば、流れ者でいる方がいいのではないかという懸案も相まって、最近ではこうした旅を悪く思っていない。
 吹き付ける風が、髪を揺らした。
 ――錯覚、という言葉が脳裏を過ぎった。
 錯覚、思いこみ、そして、あるいは、希望だった。
 その言葉を発した人物のイメージを振り切るために、ゼロは一度首を振った。


「街に入れないだって?」
 ネイブルの街門に無事に到着し、大きくて立派な門だなあ、早く開いてくれないかな、休みたいな、などとゼロが考えていた矢先のことだった。そのような声が辺りに響く。
 隣で一緒に門を見上げていた同僚の護衛人と一度目を合わせてから、ゼロは門衛と話している商人を振り返った。
 そこでは、商人数名と門衛よりチンピラに向いていそうな青年二人が向き合っていた。
 商人の側は理解できないというような顔と憤懣やるかたないといったような顔と。
 そちらに近づく。
「何をしてるんですか?」
 声をかけると、門衛はこちらを振り返り、はっと鼻で笑った。
 何だ?
 眉を潜める。いつでも庇えるように商人と門衛の中間に立ち、商人の方を向く。
「入門審査で引っかかったんですか? どの荷です? 場合によってはその荷を積んだ馬車だけ――」
「違う、そうじゃないんだ! そもそも入門審査が存在しないと言うんだ、こいつらは」
「? 変わった街ですね。門があるのに」
「違う違う違う、そうじゃないんだってばさ、ゼロさん! こいつら」
「入門審査なんかするまでもないってことですよ、坊ちやん!」
 酒臭い臭いが漂ってきたと思えば、門衛がこちらを馬鹿にするように笑いながらてのひらを上に向けた。
「お前らみらいな小っさい隊商は街に入れなくてもいいって言われてんだ、こっちは! さっきもひとつ、小せえ隊商がすごすご帰ってったところさ!」
「入れなくていいって、誰に言われてんですか?」
 尋ねると、衛兵は右手を腰にやった。ゼロの口調が気に触ったらしい。自分で砕けたしゃべり方をしてきた癖に、図々しい衛兵である。そこにはいかにも安物の剣が下げられている。鞘にも使い込んだ風はない。
 衛兵は唐突に居丈高になり、顎を上げて言い放った。
「お前に言う必要は無いな。どこから来たんだか知らねぇが、とっとと帰れ!」
 では、とゼロは手のひらを上に向けた。特に意味もない、真似である。隣で沸騰している顔を真っ赤にした隊商の面面は、ゼロが冷静であることだけが抑止力となっている。このままでは戦闘能力の皆無な商人が衛兵相手に殴りかかってしまいそうだった。
 ゼロは続ける。
「隊商そのものが街に入らずに帰るとしても、帰るまでの補給くらいはさせて頂きたいのですが」
「うるせぇな、坊ちやんは引っ込んでろっつってんだろうが!」
「ところで、話は変わりますが」
「あぁ!?」
「何回坊ちゃんって言いましたか、おい」
 ゼロは貫手をその衛兵の首に叩き込む。音もなく倒れこんだその青年の剣を失敬して左手に持ち、青年が泡を吹いているのを確認してから、もうひとりの衛兵に向き直った。呆気に取られた様子である。
 ゼロは右手を振って、この上なく遺憾である旨があふれだすような表情で謝罪する。
「すみません、よく男性と勘違いされてしまうので、蓄積したストレスが今爆発しました。私は女性です。以後お間違えのないようによろしくお願いします。それで、えー、お名前をお伺いしていませんでしたね。そちらの残った衛兵さん、教えていただきたいのですけれども」
「おっ、お前……」
 今まで絶句していた衛兵がわなわなと震えだした。
「あなたのことはどうでもいいんです。名乗らないでくださいね。すごくどうでもいいんです。ですが、どうしてあなたがこのような態度を取ったのか、あなたの上の方とお話させて下さい」
「な、な……」
「早くしてください。上司を出してください。こちらは疲れているんです。遠路はるばるやってきて、別にこの街なんか目的地でもないのにこのように時間を取られて、予定外ですよ。これまでこのようなことはありませんでしたのに。領主が変わったなんて話も聞きませんのに、不思議で不思議で仕方ありません」
 ゼロが衛兵を見据えると、衛兵は酔いが吹き飛んだような真剣な顔でゼロの目を見返してきた。その右手は剣の柄にかかっている。
「……お前、知っているな」
 ――これは、すこし煽り過ぎたかもしれないな。
 ゼロは表情を変えないまま、少しだけ冷静になった。
「知っているって、何をです? わたしは何も知りませんよ。知っているのはそちらでしょう。教えてください」
 抜刀して切りかかってきた衛兵を、ゼロはさっき失敬した剣で弾いて避けた。わたしを殺す前にするべきことがあるだろうに。そうさせたのはわたしだけれど。冗談の通じない人だ。
 ゼロは素早く踏み込んで、体制の崩れをまだ立てなおしていない衛兵の腹に剣の柄を叩き込んだ。
 崩れ落ちる衛兵を見下ろして、剣を鞘に納める。
 商人を振り返り、何が起こったのかいまいちよくわかっていない彼らに指示を飛ばした。
「この街、なんかおかしいみたいです。確かに入らないほうがいいかもしれませんね」
「けれど、補給がこの街で出来なければ……」
「では、皆さんは野営地に戻っていてください。わたしが斥候役として街の様子を見てきます」
「けど、坊ちゃ」
「何か?」
「あ、いや、ゼロさん……いや、あんたひとりで行くつもりじゃないだろうな!?」
 そう言ってくれたのは、昼に話した、ゼロの直接の雇用主――若い商人、サイラだった。
 口調は荒いが、心配が滲んでいることはゼロでもわかる。さっきまで肉盾にしようとしていたくせに。
 ゼロは、ほんの少し、苦笑した。
「いえ、一人で大丈夫です」
「それは無茶だ。あんたの腕が立つことはもう知ってるが、それでも一人は無茶だよ。死ぬよ」
「いいえ、死にません」
 ゼロは平靜に答えた。
「若いからって、何でもできると思うな!」
「いえ、わたしは死なないんです。安心してください」
「その嬢ちゃんの言うとおりだ」
 突然、背後から声がした。
 振り返るとそこに立っていたのは、護衛隊の隊長である。
「斥候には彼女が最もふさわしいだろうと、我々も思う」
「あんた……」
「彼女にはそれだけの実力がある」
 ゼロは隊長の顔をじっと見た。
 ゼロの体質のことを知っているようにも取れる発言である。しかし――ゼロの素性について知っているものは、数少ない。
 おかしいのは、この街だけではなさそうだ。
 この隊と行動を共にするのは、セルセまでが潮時だろうと感じた。
「それだけ言いに来た。彼女――ゼロが口にしていたことは概ね正しい」
 ゼロは隊長に向けて口を開いた。
「街の中で、何かまずいことが起こった場合、閃光弾を街の上に打ちます。朝までなんの連絡も来ず、わたしが戻らない場合は一番近い街に出発してください。賃金は、いつもどおりに支払っておいてくださいね。わたしは死にませんから、省いたりなんかしたら魔界まで追って取り立てます」
「わかった」
「待て、ちょっと待てよ!」
 この商隊の荷の持ち主であるサイラは、ゼロと隊長を交互に見て理解不能といった顔つきをした。
「こんな明らかにおかしい街、放っておくべきじゃないのか? 確かに積み荷は確実に届けたい、届けたいが! そのために人が危険に身を投じるなんておかしい!」
「おかしくありませんよ」
 ゼロは、愕然としているサイラを少し憐れみながら告げた。
「わたしが請け負ったのは、積み荷をセルセへ届けることです。そして、あなたは商人です。在り方を間違いませんように」
 ああ、若いんだな、とゼロは思った。
 この商人は若いのだ。レベル一くらいに。
「では、サイラさんは皆さんと野営地へ。わたしはこれから、」
 ゼロはまだ門番が数名わちゃわちゃしている門に視線を向けた。
「この街に潛入します」



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