未必の戀の返りごと




耽溺死体たちの朝
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 ぱちり、と。諌名は、なにかスイッチが切り替わるような気分で目が覚めた。自分の頭の冴えた具合から考えるともう朝が来ているように思えるのだが、どうしてか周囲は真暗なままだった。不思議に思いつつ、諌名の目前であたかも当然のように寝息を立てる白い少年の姿を認めて、小さく、そっと息を吐いた。安堵の息だったのか、落胆のそれだったのか。少なくとも後者ではない、と諌名は思った。
 少なくとも、という表現が、逃げであることに諌名は気がついていた。掛け布団から覗いている、臣の手首から先をみつめる。
 一瞬、臣のすがたを見た瞬間、その存在さえ確かであれば、他のことはどうでもいいのだという気がした。
 それは、諌名がこの少年のものだからそう考えるのだろうか。だとすれば、諌名がもしこの少年と出会わなかったなら、こんなことは考えなかったのだろうか。
 ――当然、そうだろう。
 出会っていなかったなら、こうして人と眠ることも死ぬまで無かったことだろう。会話を交わすことも、何もかも。
 あれは、出会っただなんて生やさしいものではなかったけれど。
 窓から見下ろしたときのことを思い出して、諌名は目を伏せた。
 いま、これほど穏やかな時間を過ごしているのに、どうして臣を見つけたときはあれほど恐怖を感じたのだろうか。何かを踏み外してしまうような、禁忌を犯しているような。考えてみれば、見つけたときだけではないのだ。出会ってしばらくその恐怖は続いていた。そう、臣に、
 臣に、死を譲り渡してしまったあのときまで、ずっとそうだった。
 諌名は目を細めた。
 だとすれば、これは権利を失ったことによる甘美なのか。諌名はあのとき、本当に人であることをやめたのかもしれない。
 従うと――言ってしまったのだ。
 ああ、けれど、あの時、ああ言う以外にどんな選択肢があったというのだろう。だって、こんなことをつらつらと考えていながら、諌名はまるで後悔をしていないのだった。
 きっと、いま同じ事を尋ねられたとしても同じ事をしてしまう、と諌名は予測した。予感だったかもしれない。
 諌名はその甘やかさを知ってしまったのだ。
 諌名は、意識的に、呼吸をした。
 ああ、このように息をすることも、心臓を動かしていることも、すべて、臣のために行っている。
 そう考えると、空気に甘い味がついたような気がした。
 諌名は数秒間だけ目を閉じた。そして、切り替えるように、まぶたを開く。窓の外を見てみようと思ったのだった。
 そっと起きあがろうとして、思っていたよりも重い体に眉を顰める。いつもこうだった。これほどうつろなのに、重さばかりが存在するのだ。
 髪を揺らして、諌名は臣を振り返った。起こしてしまっていないだろうか、と思った。しかし彼は変わらず穏やかに穏やかに息を吸っては吐くだけで、目を開ける気配は感じられなかった。
 よかった、と思った。
 臣の方までめくれてしまったふとんをなおしてから、諌名はそっとベッドを降りた。脚も上手に動かせなくて、それを諌名は不思議に思った。昨日は、もうすこし――
 そして、思い当たる。
 昨日は、ずっと、手を引かれていたのだ。
 ああ、と思った。
 微かに胸をよぎった何か感情の先端を見ないようにして、諌名はためいきをついた。
 






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