未必の戀の返りごと


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言葉だって杭だって、刺さればそれでいいんだと


 しずかに、しずかに――時が、流れるようだった。
 眠っている臣を見下ろしていた諌名は、このままベッドの上に座り続けるのはすこし難しいかもしれないと思って、そっと横になった。左手はまだ握られたままで、ああ、眠っているのに離さないのかと思った。離さなくても、どこにも行かないのに。
 要らないと言われるまで、ここにいるのに。
 ゆっくりと目を閉じる。このまま、自分も眠ってしまおうかと思ったのだ。けれどやはり眠気は諌名のもとには降りてこなくて、結局諌名は目を開けた。
 そっと、伺うように臣の顔を見つめる。動かないまぶたと、透明な睫毛。何の表情も浮かんでいないそれは、まるで……、そう、このひとは、私のことを人形のようだというくせに、自分だってとても整っていると思った。
 ああ、でも、きっと、知らないのだろう。
 眠っている間のことなんて、自分では気がつかないものだから。
 目を細めて、じっと、眺める。
 このような距離でひとの顔を見たことなどこれまでなくて、諌名はなにかいけないことをしているような気持ちになった。ぶりかえした胸の熱を逃がそうとして、ため息をついた。
 どうしてしまったのかしら。
 本当に……。
 ふいに生まれた逃げ出してしまいたいという衝動すら、臣と重ねた左の手の熱の重みに解体されてしまうのだった。まるでピンで留められているかのように動くことができない。諌名は自分が標本になってしまった気がした。熱が諌名の杭になる。それならきっと、諌名を留める杭を打つことができるのは臣だけなのだろう。
 その囚われた感覚はどうしてかとても甘やかで、そう、それは名前を呼ばれて答えたときのそれに、とてもよく似ているのだった。
 虫かごに入れられた蝶や、あるいは鳥籠に入った鳥なども、きっと同じような気持ちになるに違いないと思った。
 ああ、それなら、やはり。
 選ばれて買われた人形だってきっと同じ気持ちなのだと思って、諌名はふっと力が抜けた。
 いけないわ。
 勘違いをしては、いけないのだ。
 諌名がいまここでこうしているのは、ぜんぶきっと過ちだ。いつか正されてしまう、過ちなのだ。このあやまちがどうしようもなく心地良いことだって、きっと。
 きっと、誰かに正される。
 これは、いけないことかしら。そう言った諌名に、臣はきもちいいと言ったけど。
 ――また、逃げ出したいような気持ちになってしまった。
 ああ、のぼせている。熱にあてられているのだ。諌名が正当でいられるのはきっとこのひとの前だけだから、特にそうなのだろう。きっと、そう。
 そう思うとなんだかどうしようもない気持ちになって、諌名はひたすらな思考をやめて、ただそのひとをながめることに、時間を費やすことにした。








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