おぼえていますか

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椿の色を覚えていますか


 この家の庭に咲く、椿の花が好きだった。
 着物の裾を畳にすべらせて、櫻子は静かに窓縁へと寄った。
 からりと障子を開けて、しんしんと降る雪に目を細める。暦の上では春になろうかという季節だが、この街はまだ、寒さの渦中にある。
「櫻子さま」
 背後から、諌めるように声をかけられた。
 振り返ると、明るい茶髪をすっきりと結い上げた若い娘の姿があった。
「お風邪を召されてはどうするのです。障子を」
 彼女は子供の頃から櫻子の世話をしてくれている女中だった。他の者は皆、在宮の家が衰えるにつれてぽつりぽつりと消えていったものだが、有馬だけは残ってくれた。
「あら、私、こんな寒さで風邪を引くほどか弱くないわ」
 心配をしてくれているのだとはわかっているのだが、つい口答えをしてしまう。
 大体同じくらいの年齢で、櫻子が五歳の時からかれこれ十五年も付き合っているのだから、気安くなるのは当然だった。
「そういうことじゃありません。もう耳にたこができたかもしれませんけれど、言わせていただけば。櫻子さまは、在宮の直系なんですからね。それをゆめゆめお忘れ無きよう」
「――そうね」
 櫻子は、ふと目を細めた。
 ありみや。
 在宮というのは、櫻子の名字であり、家の名前だった。
 櫻子の住む、九条という街は、古来より異形と人とが交じる場所。
 異形というのは人間ではないもののこと。
 在宮は、数ある異形の中で神に類するものへと仕える巫の氏族だった。
 その血に有する、魔力とよばれるそれを捧げるために存在する。
 ――その、はずだった。
「――ねえ有馬」
 櫻子は、憂いをたたえた瞳で有馬を見た。
「何ですか?」
「どうして、在宮は、このように衰え、力無くなってしまったのだと思う?」
「……櫻子さま」
「もう、残された在宮の者はふたりだけ。私と、お父様の二人だけよ」
「櫻子さま、その様なことを」
「私ね、こう思うの。きっと、在宮はもう必要がなくなったのだわ」
「櫻子さま!」
「私は世間知らずで、外のことなんか何も知らないけれど、それでもわかるわ。だって、」
 櫻子の言葉を遮るように、有馬は櫻子の肩を掴んだ。
「櫻子さま、そのような事を冗談でも口にしてはなりませんよ。在宮は、神に仕える、神聖な血筋です。お疲れなのでしたらお休みなさいな」
 異論を一切封じるような厳粛な口調に無駄を悟って、櫻子は目を伏せた。
「……そうね。そう、少し、疲れているのかもしれないわ」
「そうでしょうとも。櫻子さまは体が弱くてらっしゃるんですから。あなたは次代さまを産まなければならないのだから、大事になさいませ」
 そうね。
 ぽつり、同意の言葉を呟いて、櫻子は後ろ手に障子を閉めた。


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