橙色の灯りがふらりふありと舞う楼閣で、僕はひとつの夜店に目をとめた。
【アロワナ、売っています。】
そんな看板が貼ってあった。アロワナ。僕は、アロワナが好きだった。
あの流麗な鱗。家に居る目つきの悪い彼だって、僕は好きだった。
「おじさん」
僕は、看板の下で安っぽい椅子に座っていたおじさんに声を掛けた。おじさんはやる気なさげに、ああ、とかなんとか相槌を打った。
「アロワナ、売ってるんでしょう」
おじさんは、無精髭面を上にくいっと向けて、にやあっと笑った。
「え、ああ、そうだよ。これさ」
おじさんは手提げのビニール袋を目の高さまで吊り上げた。
「どうだい、珍しいだろう」
珍しい。確かに、珍しいものだった。何が珍しいって、そのアロワナの鱗がとにかく美しかったのだ。綺麗だった。素敵だった。
バルーンアートにでも使いそうな細い風船を、さらに薄くして、薄紅に色づけたような、透明感のある、円筒体の、鱗。
僕の頭にはもうアロワナの鱗のことしかなかった。
「おじさん、このアロワナ、いくら」
「これかい? これはねえ、珍しいから、そう――」
かなり、ふっかけられた。気もする。が、僕は構わず払った。
おじさんから手提げビニールを受け取って、僕は思わずにっこりした。あのすてきな鱗を持っているアロワナが僕のものになったのだ。
家の、あの目つきの悪いアロワナと仲良くなってくれるだろうか。
ありがとうもそこそこに、僕が立ち去りかけたとき。
「しっかし、ねえ、お坊ちゃん」
背後から声を掛けられた。振り返り、無精髭のおじさんの顔を見る。にやにやと笑っていた。
「アロワナっていうのは、育てるのに大変だよ。設備とかいろいろ必要だしね」
「うちには揃っているので、大丈夫です」
「え?」
「既に一匹飼っているんです。だから、大丈夫」
「いやー、どうだろう、結構すぐに死んじゃうかもよ」
おじさんは、なぜだかにわかに焦りだしたようだった。
「大丈夫です」
何が大丈夫なのか、自分でもよく分からなかったけれど、どうでもよかった。僕はさっさと帰りたかった。帰って、このアロワナをアロワナ水槽に入れて、優美に彼らが泳ぐ様を見たかった。優美に鱗を泳がす姿を見たかった。
「それじゃ、さよなら。いいアロワナをありがとう」
「い、いや、あの」
おじさんはまだ何かを言っているようだったが、僕はそのまま歩き続け、郭を出た。
帰宅した頃には、アロワナの鱗が数本、ビニールの底に沈んでいた。
この手に乗るサイズの希少な鱗アロワナにこれ以上ストレスをかけてはならぬ、と僕は、机の上に堂々と置いているアロワナ水槽に鱗アロワナを流し入れた。
その衝撃で、鱗アロワナの綺麗な鱗が全て落ちた。ゆっくりと水に沈んでいった。綺麗なうろこは、全て、ゆっくり、ゆっくりと、水槽の底に沈んでいった。
僕は、ゆっくりとそれに視線を向けた。
全てが沈みきった後、またゆっくりと視線を上げる。
数秒前まで鱗の綺麗なアロワナがいた場所には、傷だらけの和金が、息も絶え絶えに醜くうごめいていた。腹を上に向け、水面近くで口をぱくぱくしていた。
そして死んだ。
あっさりと死んだ。
どうやら、このアロワナは和金だったらしい。まあ、それでもよいのだけど。
僕は、別の金魚鉢を持ってきて、水を張った。ひとまずは、これに和金を移しておけばよいだろう。そう思った。
手に先ほどまで和金が入っていた袋を裏返しで持ち、浮いている和金を掴む。そして、横に置いてある金魚鉢に移した。和金は数度浮き沈みをして、動かなくなった。
僕はまた、巨大なアロワナ水槽の前に戻った。
その底に沈んだ鱗を見つめて、どうしてこんなに綺麗なものがあったのだろう、と考えを巡らせる。
これはきっと、生来あの和金が持っていた鱗ではあるまい、と思う。
この鱗、どうしてこのように綺麗なのだろうか。人工物だとしたら、職人の技である。
僕はしばし水槽の底に見とれた。
その視線の上を、アロワナは悠然と泰然とゆらゆら動く。
静かに時間が過ぎていった。
夢に見たのをそのまま書き起こしました。
© 2008- 乙瀬蓮