公園の横でしゃがみ込む同級生の女の子を見下ろして、僕は困ったようにヘッドホンを外した。今は委員会の帰りだった。もう空はそろそろ暗くなり始めていて、さきほど学校で不審者の目撃情報も聞いたばかりだったから、僕は少しだけこの同級生が心配になってしまった。
数秒間の逡巡の後に、小さく訊ねる。
「……どうしたの?」
「ほっといて」
一刀両断。社交辞令を切り落とされたショックで僕は口をぽかんと開けた。この反応の早さはおそらく答えを用意していたのだろうと思う。
そう思うとなんだか微妙に、ほんとうに微量だけ、悔しさのようなものが湧いてきて、僕は彼女の隣に体育座りをした。隣と言っても、お互い手を伸ばしたって届かないような隣である。距離に敏感な女子高生とはいえ、これなら文句は言われないような気がした。
そして、もう一度、訊ねる。
「どうしたの」
「ほっといてって言ったんだけど」
そう言う彼女の声が震えていたので、僕は驚いてそちらの方を向いた。
「聞こえなかったの」
顔を少しだけ上げて、斜め前方を見下ろすその目が濡れていたので僕は更におののいた。
「き」
きこえ、なかった。
そう言うと、彼女は今度はこちらを睨みつけてきた。
同級生の、しかも女の子の涙というのはあまりにも威圧的に見えて、僕は竦んでしまった。
「つきあえないって」
彼女は、ゆっくり、噛んで含めるように言葉を発した。
「言われたのよ」
もう一粒こぼれ落ちる。
耐えかねるといった風にまぶたと唇が震えて、彼女は再び顔を覆った。
「すきなひとに」
そのどうしようもない様子とは裏腹に、僕は急に気分が萎えるのを感じた。
恋愛か、と思ってしまったのだ。僕がどうしてもよくわからないものだった。
飽きるように視線を逸らして、僕はそっかと頷いた。
「諦めないとね」
相槌のようにそう言うと、彼女はどうしてと言った。
僕は反射的に「え?」と問い返す。
「どうして?」
もう一度問われて、僕は言葉に詰まった。
「だって、振られたんでしょ?」
「振られるって、あなたの事が好きじゃないって言われることじゃないの?」
「え、うん。そう言われたんじゃないの?」
「違う。つきあえないって言われたの」
正直何を言っているのかよくわからなかった。
それを察したのか、彼女は苛々を押し殺すようなため息を吐いて、顔をあげた。
「わたしのことは別に嫌いじゃないらしい。でもつきあえないんだって」
どういうことだかまだわからない。
嫌いじゃないのにつきあわないのか。
ますます付き合うについてよくわからなくなってしまった。
「……そ、そっか」
「振られるんならまだ諦めもつこうものだけど、そうじゃないのよ。だから困ってるの。諦められなくて」
「……でもさあ」
僕は余計な口だとわかっていながら、言わずには居られなかった。
「つきあえない、って言われたんだったら、それはそうなんじゃない? 嫌いじゃないのも本当だろうけど、付き合うことができないなら諦めないのは建設的じゃないと思うんだけど」
そう言うと、彼女は哀れむような目でこちらを見た。
なんだか殴られる直前の予感がして、僕は少し身を引いた。
「どうして、あきらめられると思うの」
静かな声だったのに噛みつかれている気がした。
「自分から恋を失えるわけがないじゃない、あきらめなければ、待っていればいつか叶うかもしれないのよ」
その鮮烈さにあてられて、僕はもう何も言えなくなってしまった。
「気を遣ってくれたのは本当に嬉しいんだけど、今のわたしはそれにお礼を言えるような余裕が無いの。だから放っておいてって言ったの。あとあなたがさっきから言ってることって大体自分でも考えてることなのよ。そんなことは最初から、告白する前から考えてたわ、でも、それでも、我慢できなかったの。だから、そういうのを、恋と呼ぶんだわ」
一息にそう言って、彼女はまたぽろぽろと泣き出した。
「わたし、いま、失恋したくなくて必死なの。わたしが諦めなければまだ終わらない気がしてしかたないの。どうしようもないの」
だから、ほっといて。ひとりでなんとかするから。
そう言われて、とうとうしゃくりあげてしまった彼女を見て、僕はなんと言っていいのかわからなかった。何も言うべきではないのだとも思った。ほんとに余計なことをしたのだと気づいた。
だけどこのまま放っておくのが一番いけないような気もした。
「……向坂さん」
僕は、小さく名前を呼んだ。
「でもね、いま、不審者がその辺歩いてるらしいから」
やっぱり、帰った方がいいよ。
そう告げると、彼女は黙って立ち上がった。
「あなたってとてもお節介だったのね、三浦くん」
知らなかった。
そう諦めるように――言われて、僕も、きみがそんなに女の子だとは知らなかった、と言いそうになった。
でもそれは言ってはいけない気がしたから、僕は黙って頷いた。
失恋の定義
© 2008- 乙瀬蓮