レディグレイ




死体の希死念慮
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 死にたい、死にたい、死にたい、死にたい!
 僕は決めていた、ずっと前から決めていた。死ぬとき僕は飛び降りて、重力と一緒に朽ちるのだ。
 僕は密かに考え出す。下で寝ているあの人に、気づかれてはならんのだ。
 さて、どうしたらいいだろう。後難を避け、なるべくだったら迷惑をかけずに消え失せる方法だ。
しかし、綿密に考える必要なんてない。だって死ぬのだ。僕は死ぬのだ。死んだ後のことなんて、本来ならば想像する必要すらない!
しかし、しかし。
 僕は、棚に置いてある写真の前でうずくまった。僕をこれまで育てたあの人に、これ以上の迷惑をかけてはいけない。そんなことをしたら、あの人は僕の後に死んでしまうだろう。彼女は僕の存在がストッパーになり自殺をしない面があるのだから、あれ、
 しまった、僕は大馬鹿者だ!
 僕は頭を掻きむしった。
 これでは死ぬ前に心残りが増えるばかりだ!
 僕は精神衛生のために死後について考えるのをやめることにした。
 さて、どうするか。
 一番確実に死ねる場所はどこだろう。僕は考えてみるが、そんな自殺に都合の良い場所が簡単に思いつくはずはない。
 僕は頭を悩ませる。しかし、僕が悩んだからと言って解決策が都合よく浮かぶはずがなかった。僕は、信用のおける誰かに相談を持ちかけることにした。

***

 指定した墓地に入ってきた江良くんは、記憶に違わず学ランのホックをきちんと留めたままだった。
「………どうも」
 僕はその日の内にアポイントメントを取り、数少ない知り合いのうちの一人である江良くんと十二時間後に会う約束を取り付けたのだった。
「ご用は、なんですか」
 彼は無口で人見知りの傾向がある。ぼそぼそと喋り、目を隠すほどに長い前髪をいじるその様子は正に陰鬱、僕の願いを叶えるのに相応しく思えた。
「……は? 先輩、今何とおっしゃいましたか?」
 江良くんは驚いたように身じろいだ。僕は、なるべく早く自殺がしたいこと、そしてその方法は飛び降りがよいこと、できるだけ迷惑を掛けたくないこと。この三つを簡単に伝えたのだ。
 すると彼は三拍ほど動きを止め、その後に今までよりははっきりとした口調でこう言った。
「今すぐには、思いつきません。しかし心当たりが無いではないので、少し下調べがしたいです。そんなに時間はかかりません、明日にでも伝えられるでしょう」
 さすがは江良くん、進学校に通っているその頭脳と知識は伊達ではない。僕は少しほっとしたが、考えてみたら江良くん一人に任せておくのも申し訳がない。
 お礼と、他の人にも当たってみることを伝えると、江良くんもそれがいいと頷いた。

***

 江良くんに勧められたこともあり、僕は別の知り合いの上總くんにも相談することにした。
「あぐあぐあぐあ……ぐ、あぁ?」
 上總くんは、突然ドアを開けて部屋に侵入してきた僕を見て、驚いたように左手首を噛むのをやめた。彼女は昔から自分の体を噛む癖があるのだった。
「ンだよお前、いきなり……」
 僕は軽く挨拶をして、勝手に上がりかまちに座り込む。
 上總くんは携帯が通じなかったので、僕は何の連絡もせずに押しかけてしまったのだ。彼女が玄関のドアに鍵を閉めないことを知っていたので、気兼ねはあまりなかった。居たらドアは開いていて、居なければ鍵が掛かっているのだから、簡単だ。
もし居なかったら(江良くんには悪いが)適当に死のうと思っていたし、居たとしても迷惑だったら死を持って償おうと思っていたので、特に躊躇は感じなかった。
「で、何だよ。何が目的で来やがったんだ。こんな飯時に」
 近くにあったタオルで手首を拭いた上總くんは、物珍しげに僕を見た。僕は、江良くんにしたのと同じように彼女にも計画の説明をした。
「……ふぅん。なるほどね」
 上總くんも江良くんと同じように少し考えこんだ後、顔を上げてこう言った。
「それなら少し、伝手がある。でもそんなにムリは言えない相手だから、少し時間がかかるかな。明日まで待てるか?」
 僕は嬉しくて、ぶんぶん頷いた。しかし、ふと江良くんのことを思いだして、これはいけないダブルブッキングしてしまう、と彼の約束のことを伝えた。
「それなら、一緒に会えばいいんじゃねえの? 江良を知らない訳じゃないし。……この後、他の奴にも会いに行くのか?」
 この後のことは全然考えていなかった。僕は少し悩む。僕が自殺することをそんなにたくさんの人に伝えてもよいのだろうか。
「まあ、やめといた方が良いかもな。他の奴らも、あんまりお前が死にたいなんて信じないだろうしなあ」
 それもそうかと思った僕は、上總くんに別れを告げて家に帰ることにした。

***

 死ねる死ねると思うと、なんとも清々しい一日を送ることができるものである。今日の気温は三十二度のはずだった、しかし僕は蒸し暑さなんてまるで感じない身軽さで彼らと待ち合わせたお寺へ向かう。
 江良くんから聞いた話によると、そのお寺は切り立った崖に建っているらしいのだ。その崖から飛び降りたらきっと気持ちがいいと思う、と彼は言ってくれた。
 僕は今世紀最大にわくわくしている。うきうきしている。まるで体が浮いてしまいそうに。
「あ、先輩」
 手を振ってくれた江良くんは、いつも通りに学ランを着ていた。
僕は首を傾げる。彼の周りには知らない人が大勢居たからだ。
 やはり罠だったか!
 僕が身構え逃げようとすると、江良くんは何事も無いように僕を手招きした。
「こっちです。上總先輩があっちで待っていますよ」
 そう言って、僕を捕まえようとするそぶりも無く踵を返し、寺社の向こう側へ歩いていった。
 彼の周りに立っていた大勢の人々は、どうやら彼とは関係が無かったらしい。僕は一瞬でも信用のおける後輩を疑ってしまった自分を恥じ、死にたくなってから、彼を追いかける。
 人々は、僕が避けるまでもなく不思議と僕を避けていく。すいすいと人混みを抜けた僕は、上總くんと江良くんの姿を見つけて彼らに駆け寄った。
「さあ、この崖です。どうぞ」
 僕は、提灯を持っている上總くんを見て、不思議に思い彼女の提灯の理由を聞いた。
「これ? これは送り火だよ。おめーが上手に死ねるように祈ってんのさ」
 それはありがたい。僕は破顔し、目の前に広がる崖を見つめた。
 想像通り、僕の体が軽くなる。
 重力はやはり僕の気持ちを軽くしてくれる魔法の存在だった。
 僕は二人を振り返り、にっこり笑って別れを告げた。

***

「……行きましたか」
「ああ」
 江良と上總は、楽しげに笑いながら消えていった彼を静かに見送った。
「まだ気づいていなかったんですね、先輩」
「にしても、死んでからまた死にたくなるなんて、あいつも大概だよなあ」
 提灯を揺らして笑う上總は、数年前に飛び降り自殺をした彼を思い出し、それも仕方がないかと諦める。
 彼は、生粋の死にたがりだったのだから。
「にしても、どうして今更会いに来たんでしょうね? 嬉しかったけれど」
 ぼそりと尋ねる江良に、上總は呆れたように答えた。
「お前、気づかなかったのかよ?」
「え?」
「昨日今日は、お盆だよ」



昔書いた話をサルベージ。昔も今も三行にいっぺんは死ぬだの殺すだの言ってるような気がします。

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© 2008- 和倉蓮子