イドラ




屈折系自販機プリズム
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 じりじりと窓から差し込む日を避けて、僕は黒板の前に立った。掃除はもう終わっているため、床にはチョークの粉が落ちていない。あれを踏むのが嫌いだったので、僕は少しだけ心穏やかだった。
「あら、授業でもしてくれるの?」
 背後からその声がするまでは。
「言っておくけど、私は秀才なので、あなたに教えて貰わなくても理解に問題はないわよ」
 自信を含んだようなその口調になにかを逆撫でされながら、僕は振り返る。
 直射日光の当たる場所に仁王立ちしたその人、先輩を見て、僕は眉を顰めた。半袖のシャツから覗く二の腕の白さに、目がくらむ。
「先輩、暑くないんですか? カーテンを閉めてはどうですか」
「日光を浴びるのは好きなのよ。閉めなくていいわ」
「日焼けしますよ。紫外線、怖くないんですか」
「そんなことを言っているからあなたはそんなに青白いのだわ。ちなみに私は紫外線対策も万全よ」
「日焼け止め塗ってわざわざ日の当たる場所に居るなんて、非効率だ」
「さすが、子供は青いわね。発想が」
「一年しか違わねえだろうがクソババア」
「黙るということを覚えろ、クソガキ」
「口、悪……」
「あなたのレベルに合わせているの、優しいから」
「あーあーさいですか」
 僕の返事を聞いて、先輩はふうと息を吐いた。
「なんだか、喉が渇いたわ」
「自販機は、一階ですよ」
「あなたよりも先輩であるこの私がそれを知らないとでも思っているの? 言いたいことは、それじゃないのよ」
 この先輩は話が回りくどくて困る。僕は眉を顰めた。僕だって確かに人のことを言えるほどストレイトな性格ではないけれど、この先輩には負けるだろうと思う。
 先輩は目を伏せた。直射日光が先輩の睫毛を照らして、その白い肌に影を作る。僕はふいっと視線を逸らした。
「それじゃあ、なんなんですか」
「偶然、ここに百二十円があるわ」
 先輩は、膝よりすこし高い丈のスカートのポケットから小銭を取り出した。
「もものサイダー、買ってきて」
「そんなことだろうと思いましたよ、全く」
 僕は半ば呆れながら先輩に近づいて、直射日光のサークルへと踏みいった。先輩はなぜか驚いたように首を傾げる。
「あら、行ってくれるの?」
「行くまでしつこくねちねち言うんでしょう」
 そう言って先輩の手から小銭を取ろうとすると、先輩はするりとその手を掴んだ。その手、つまりは、僕の手を。
「私、あなたと一緒に自販機まで行くという方向へ持っていこうとしていたのよね」
 僕は先輩を見下ろした。自分より身長が低いことにはじめて気づいたような気がした。
「嫌だったかしら?」
「……別に」
 嫌ではない、と答えることがどういう意味を持つだろう、それを考えることも悪くはなかった、けれど。今の僕にとってはきっと、この傍若無人な先輩の華やかな笑顔を観賞することに勝ることなんてひとつもないのだと思った。






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