さてどんな反応をするだろうと諌名の顔を見ると、彼女はずっと貴臣が触れたままの頬ばかり見ていて、貴臣の言葉には反応していなかった。むう、と頬をふくらます。まるで無視をされたみたいで嫌だった。
指の腹でひたひたと諌名の頬を叩くと、彼女は僅かに目を細めた。そのあえかで精細なくちびるが僅かに開いて、小さく息を吐いた。ああ、呼吸をしている。貴臣は新鮮に感動した。これは生きているのだ。なぜだか急にどうしようもなく愛しくなって、このままその息が止まるまで口づけてしまおうかと思った。別に誰も見てないからいいだろ。だめかな。だめだな。
唐突な衝動をそっと堪えて、貴臣は口を開いた。
「諌名ちゃん」
彼女はそっと視線を伏せた。しばし躊躇うように間を置いて、そして彼女は唇を動かした。
「……あなたがどういうつもりなのかは知らないけれど」
「うん」
人差し指の先で頬を撫でながら話を聞く。ほんとうに陶器で出来ているのではないかと疑ってしまうほど滑らかだった。
「私は、この部屋からは出たくないわ」
「どうして?」
尋ねると、諌名は視線をこちらへ向けた。
「……あなた、さっきまでわたしとお話していたわよね」
「ああ、人に会いたくないの?」
「そう。害したくない。それに、わたしが出て行くと、これまでわたしを置いてくださった苑宮の方々に恩が返せなくなるの」
「諌名ちゃんがここに居る方が迷惑かかるんじゃないの?」
そう言うと、諌名は口を噤んだ。
あっ、かわいい。
「俺の家なら誰にも迷惑かからないけど。地下室あるよ。なんなら山奧に監禁してあげようか」
「……誰にも迷惑がかからない?」
「うん。当主、いちおう俺だから」
自分で口にしておきながら、いちおうという言葉の響きのか弱さに内心が苛立つ。
「でも、わたしは……」
諌名は貴臣から逃れるように首を動かした。少し思うところがあったので、素直に手を放す。頸筋の美しさが目に焼きついた。
「わたしは、あなたのことがわからない。あなたが誰なのかも知らないし、どうしてこんなことをして、どうして人の話を聞かないのか」
最後はただ貴臣の性格の悪さを指摘しただけのような気がする。
「何もわからないわ。そして、それをわかるつもりもあまり無い。人と関わりたくないから。あなたが自分のことをばけものと言っても、わたしにとっては、あなたは人よ。だからわたしに何を言っても時間の無駄だし、あなたがどれだけ言葉を費やしたとしてもわたしはどこにも行かないとしか言わないわ。だからもう苛めないで」
「じゃあ俺がここに住むけど……いい?」
「よくない……」
諌名の視線がまた貴臣の元に返ってきた。
「あなた、どうかしているのではないかしら……? 本気じゃないわよね?」
「本気だしどうかしてるとは思うけど、慣れてね……?」
諌名の口調を真似て言うと、諌名の瞳が理解不能の色に染まった。大分瞳のいろを読めるようになってきたことが嬉しい。
「あなた、……あなた」
「ああ、おもしろぉい……」
「もう、どうしたら良いの……?」
「うーん」
貴臣は小首を傾げた。
悩みどころだからである。
「でも、俺にも一応、常識みたいなものってあるからさぁ?」
そう呟くと、諌名は思い出したように帰ってくれるの? と問うた。
「今日急に持ち帰るには、準備とかできてないからなぁ」
最低限の用意として、部屋の内鍵をものすごく厳重にする必要はある。
「……嫌な予感がするから、もう喋らないで」
「喋らないでって言われて喋らないわけないじゃん。すごいしゃべるよ。あのね、諌名ちゃんは今なに、その、巫女の衣装みたいなの着てるけど、俺は洋裝が似合うと思うのね。だからぁ、そういうお洋服をたくさん用意しておかないといけないでしょ? あと、諌名ちゃんが過ごすにあたって、とりあえず俺の部屋を隔離する必要もあるでしょ?」
諌名がゆっくりと腕を持ち上げて、貴臣の口を塞ごうとしたので、その手首を掴んで、壁に押し付けた。ついでに胸ポケットから携帯を取り出して、カメラを起動させる。
「俺、諌名ちゃんのことはもう誰にも見せたくないんだよね。ずっと飾っておきたいの。部屋に。諌名ちゃんが人に会いたくないって言ったときなんかもう神様の采配だなって思ったんだ」
ぱしゃ。
シャッター音に諌名がびくんと竦んだ。
えっちょっとそんな怖がり方したら楽しくなっちゃうじゃん。
カメラを連写モードに切り替えて、手首を掴む手のひらに力を込める。
「あと、まあどうでもいいクズみたいな理由なんだけど、たぶん諌名ちゃんのことストレートに持ち出すのものすごく難しいと思うんだよね。あの苑宮のババアがなんか邪魔してくるような気がして仕方ないの」
「っ、やめて、」
ぱしゃぱしゃぱしゃ。
ああ、嫌がるから。良い角度で写真が撮れる。
「何で?」
「やめて、どうして、っ」
諌名の薄い肩から羽織っていた着物が滑り落ちて、白い巫女服が露わになった。
「だから、一週間ぐらいで全部整えるから」
貴臣は極めつけに無意味に携帯を諌名の顔に向かって叩きつけた。
「……っ」
「そしたら、迎えにくるね」
目元にそっと口づける。
目尻に唇をつけたまま待っててねと囁くと、諌名は今にも途絶えそうに細く息を吸って、二度と来ないでと呟いた。
© 2008- 和蔵蓮子