未必の戀の返りごと

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諌名
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 少女の無機質で虚ろで乾いた瞳が、ひたと貴臣を見据えていた。
「嫌……と言われても」
 少女は言葉を繋げることがあまり得意では無いらしかった。それは言葉を覚えたてのアンドロイドのようにも見え、微笑ましい。かわいい。
「聞けませんわ。お帰りになってください」
「嫌だよ」
 貴臣が笑っているのを見ると、少女は眉を顰めて、緩やかに頭を動かし、逆の肩に凭れさせた。頭が重いらしい。彼女の仕草は、ひとつひとつが丁寧に為されている。それがどうにも人間らしくないのだった。瞼すらも重たげに落として、少女はひとつ溜め息を吐いた。
 言語に限界を感じたらしい。
「もう口も聞きませんから。お帰りください」
 この体が稼働するのか、
 貴臣は格子を掴む指に力を込めた。
 動かしたい。
 触れて、知りたい。
 格子が無ければ、少女の元まで二メートルもない。ちらりと目を遣る、座敷牢の扉には、南京錠がかけられていた。その鍵は、近くには無い。
「ねえ、……ねえ、ねえってば」
 声をかけるが、少女は目をつむり俯いて答えない。未だ彼女の名前を知らないということが胸中を焦がした。貴臣は首を傾げて、問いかけた。
「ねえ、なんでそんなに俺のこと帰らそうとするの? 教えてくれたら、納得できるかもしれないんだけど」
 そこまで返事を期待していたわけではなかったのだが、少女の方は貴臣の言葉に少し期待を持ったのか、目を開けた。再びその虚ろで蔭のある瞳が露わになる。
「ここは人が来てはいけない場所なの。そして、それは、わたしがいるから」
「おまえがいるから、人が来ちゃだめなの?」
「ええ」
「それはどうして?」
「それは、わたしが……人間に害をなすような、……とても、とても、害のある、穢れた血の流れる、ものだからよ」
「ああ、それ、じゃあ、問題ないかもしれない。俺、ばけものだから。ほんとだよ、今は嘘ついてないよ!」
 信じて欲しくて、ちょっと必死でそう告げると、少女は、貴臣と同じように首を傾げた。
「ばけもの?」
 外国の単語を発音するように、少女の声は片言だった。それが愛しくなって、貴臣はただ頷いた。それが罵倒の一言だったとしても同じ感情を抱くような気すらする。もっともっと喋らせたかった。
 それが少女と自分を繋ぐなら。
「空想小説に出てくるような?」
 貴臣は、頷く。
「そうそう、それそれ。怖い?」
 尋ねると、少女は少しだけ目を細めたように思った。
「いいえ」
「ほんとう?」
 聞き返せば、少女はすこしの空白のあとに、こう続けた。
「本当。あなたが、人間ではない、化け物だとしても、わたしの方が、きっとあなたよりも酷い化け物なのだと思う。から。だから、わたしは、ここに居るし、そして、この部屋には誰も入ってはいけないの」
「それ、誰が決めたの?」
 そう尋ねると、少女はゆるやかに瞬きをした。そして、何かを答えようとして口を開いた。首が僅かに動いて、髪が付随する。縷々。
 何かが少女の頭の上で煌めいた。
 少女は口を閉じて、数秒間何かを思案し、目を瞑る。それから、やはり練習したような動きで、後ろを向いてしまった。歯噛みする。ルート選択間違えたかも。もう聞き慣れたトーンの言葉が、また再生された。
「……だめ。お帰りください。お話もしてはいけないの」
「従いたくないなぁ」
 貴臣は、どうして自分は無理矢理にでもこの座敷牢に押し入ることができないのだろうと思った。さっきからの貴臣と言えば、もう今すぐにでも少女の側に寄ってその姿に触れたいような気持ちで一杯だと言うのに、一歩も踏み出すことができないのだった。見えない手が後ろから貴臣を押さえつけているような拘束感があった。
 焦燥する。
 普段ならとうに苛立ちに変わっているはずのその感情は、少女に関しているせいだろうか、不思議と清廉なままに留まっていた。
「ねえ、名前。何て呼んだらいいの」
「お帰りください」
「え? やだぁ、教えてよ」
「お帰りください」
「今更だよぉ。もう会っちゃったんだから、大人しく名前教えてってば」
「……帰って」
「うっわぁもうここまでくると何が起こっても帰らないよ俺。教えて?」
「……、帰ってください」
「教えてくれるまでは帰らなぁい」
 少女の後ろ姿は微動だにしなかった。
 けど、なんだか。
 貴臣は首を傾げた。
 困ってるっぽい?
「帰って」
 そのとき、はじめて少女の声色に困窮が滲んだ。
 ぞくっと背筋が震えた。
「……おねがい」
 小さく付け足されたその言葉で、崩れ落ちそうになった。心臓鷲掴み。その一言だけで強制的に躰中の血液を動かされたような気分だった。
 ああ。御津藏貴臣は、今まで何をして生きていたんだろうか?
 この人間に出会うための努力を何もせず、怠惰に死ぬことだけを望んで。
 時間の使い道として、貴臣はこの人間を虐めること以外に何の意義も感じられなくなっていた。
「……教えてくれるまで、帰らない」
 過去の自分が救済されたような奈落に突き落とされたようなどっちつかずの最高な気分でそう答えると、少女は、諦めたように、少しだけこちらを振り返った。
 この角度だと睫毛の長さがよくわかる。
 もう何でもいいから触りたい。
「…………、奏済、諌名」
「いさな? 諌名ちゃん?」
「そう。教えたわ」
「うん、ありがとう、幸せ。もう出来る限り長生きしたい」
「…………? 帰ってくれるのでしょう?」
「うん、帰るよ。もう少しお話したらね」
「それは話が違うわ。帰ってくれるって言うから……」
「教えてくれるまでは帰らないと言ったけど、教えてくれたら帰るとは一言も言ってないよね?」
 少女は思わずといった風にこちらを振り返った。畳に手を突いて、肩に掛かっていた着物がずり落ちている。
 ただでさえ大きな瞳がもっと大きく見えた。
 習い性なのだろうか、やはり表情は変わっていないのだけれど、信じられないと思っていることは容易に解った。
「今、何て……」
「ねえ、そっちに行ってもいい? 俺、もっと諌名ちゃんとお話がしたいなぁ。どうして自分のことばけものだと思ってるの?」
「帰って……」
「お話してくれたら帰るよ?」
 そう言うと、少女は唇を噛んだ。
 ぞく、と背筋が震えた。
 ああ、これ、楽しい。
 少女は、暫く俯いていたが、その後、唇を噛み、目を伏せ、小さく、呟いた。
「本当ね?」
 うそです。



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