未必の戀の返りごと




ひそむ
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 奏済諌名の一日に、時計は要らない。
 日の昇る頃に起きて、月が高くなる頃に眠る。
 それだけをずっと繰り返していた。ものごころついた頃からずっと。
 けれども、起きて、眠るまでの間にすることは、日によってまちまちだった。
 空を眺めて過ごすこともあれば、時折、父である奏済名弦から差し入れられる、旧い文学小説を読むこともある。けれど、大きな動作をすると不可思議なことが起こってしまうので、自然と、ただ座って夜を待つ日が多くなった。
 諌名の周りで起こる不可思議なことには、法則性があることに、最近になって気がついた。
 それはどうも、諌名の所作についてまわるもののようだった。
 例えば、振り返りながら膝を折ると、耳元で水音が響く。
 例えば、前方に手を伸ばすと、伸ばした指先でこまごまとした光が瞬く。
 このように、特定の所作に、何かしらの演出がついてまわるのだった。
 諌名は、目を細める。
 それだけなら良かったのだけれど。
 不可思議な現象は、諌名の所作が大振りなものになればなるほど、威力を増していく。
 幼い頃のこと。原因は思い出せなかったけれど、諌名を無理矢理に部屋へ連れ戻そうとした女中の手を強く振り払ったことがあった。
 諌名にわかったのは、透明ななにかが飛んでいったな、ということ。そして、軽く振り払っただけのはずの女中が、首から勢いよく血を吹き出して倒れたことだった。彼女は右の腕から首筋にかけて深い裂傷を負って、その後死亡した。
 何が起こったのかはわからない。けれど、諌名はそれ以来他人を振り払ったことがない。
 諌名はひとごろしだった。
 その不可思議な現象が、苑宮とは違う在宮の特性なのだと教えられた。諌名の母から継いだ血である。
 それ以来は人と直接触れ合うことは全くしなくなった。諌名の兄以外の誰も、諌名に近寄ろうとはしなかったので、それはとても簡単なことだった。
 諌名は空を見つめた。
 兄は。
 兄だけは、ひとごろしの諌名に、それでも以前と変わらずに接してくれたけれど。
 彼は、諌名のことを、諌名としては、見ていなかったのだった。
 それを決定的に思い知った日のことを思い出しそうになって、諌名は目を瞑った。
 そして、もう一度開く。ここにはお兄様は居ないのだ。
 だから。
 だから?
 それに続く言葉を思いつかなかった。
 ここに居れば、誰にも近づかないし、誰とも触れあうことなどない。
 だから、
 きっと、
 このまま死んでいけるだろう。
 正しいような気がした。
 なんて穏やかな自死衝動。
 その心地よさに身を任せたまま、ふと窓の外――庭の方に視線を下ろすと、そこには、陽光を浴びて、今にも溶けて消えてしまいそうな少年がひとり立っていた。
 風に揺れる白髪がとても綺麗に煌めいた。
 諌名は、夢でも見ているのだろうかと、瞬いた。
 けれど、彼はまだそこにいた。
 何の根拠もなく、諌名は彼が泣いてしまうのではないかと思った。
 彼が泣いてしまわないように何かを言わなければならないととっさに思って、そして、自分がいるのが座敷牢であること、面会謝絶の身であることを思い出した。
 身に深く染みついていることからなのに、それを螺じ伏せるような思考が自分の胸の内にあったこと、諌名は僅かにたじろいだ。
 諌名は、久しぶりに意志を持って、窓に背を向けた。しゃらしゃらと、何かの音が、また耳元で鳴った。
 
 ――本日はお客様がお見えになるので、在宮さまにおかれましては、けしてこのお部屋から出ることのないようにと、当主よりの伝言でございます。

 諌名は、目を見開いた。
 ああ、けして会ってはいけないお客様というのは、あの少年のことだったろうか。
 諌名は、
 ああ、あの言いつけを、守らなければ。
 不安に思ってしまうのは、どうしてだろう。
 思考にも気配があるように感じられて、今日はこのまま、夜まで大人しく座っていようと諌名はそっと考えた。
 見つからなければいいのだ。
 その思考は、少年が自分を捜すことが前提になっているということに、諌名は気づかなかった。
 息を止めても消えてしまえないことは、もう知っていたから、諌名はただ、ただ、息を潜めた。



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