未必の戀の返りごと




神風
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 早起きしてね、と言われてすっきり目が覚めるようなら、そんなものは体質ではないのだ。
 車窓に映る死にかけの自分の顔を見ながらそんなことをぐずぐずと思う貴臣が何を言いたいのかといえば、自分はやはり朝に起きる生き物ではないということだ。人間だろうが吸血鬼だろうが、少なくとも朝に活動するようにできてはいないようだ。
 健やかに眠っているところを文字通り叩き起こされ、半分以上眠ったまま御堂島に着替えさせられて、そのまま複数人の従者に担がれて車に突っ込まれたのだ。機嫌が良いとか悪いとかそんなこともわからなくなるくらいの眠気の瀑布に頭がずり落ちる。
「御堂島ぁ」
 口を開けば、寝言のような曖昧な滑舌の声が出た。
「んー?」
 助手席から、御堂島の気楽な声が返ってくる。
「これ、どこ行き? 今日、学校ないよね?」
「これは、苑宮行きです」
「苑宮ぁ?」
 どこそれ、と呟いた貴臣は、御堂島が人差し指をすっと立てる気配を感じた。
 長話をするときの奴の特徴である。既にうんざりして、貴臣は目を瞑った。
「毎年さ、九月の肆戸神社例大祭の時にある前夜祭で、舞比べがあるだろ?」
「ああ、面白いから覚えてる」
「今では中高生の前座のダンス大会がメインみたいに盛り上がってるけど、トリで神楽と一緒に伝統の舞を踊るのが、苑宮の巫女。神社の社務を務めてるのも苑宮の巫女だよ」
「ふーん」
「巫女ってさぁ、一般人よりおいしそうだと思わない?」
 目を開いた。
 視線だけを助手席に向ける。
「御堂島」
 出た声はきっと初対面の相手でも理解できるほどに冷たかっただろう。
 そして、つきあいの長い御堂島にとってはおそらく刃を向けられているに等しい声色。
 このまま刺し殺してしまってもいいな、と貴臣は思った。
 御堂島を殺したら、次は孝枝だ。次は、サチカ。その次は、そうだな、市倉か桐伍か、どちらでも。
 貴臣の心臓で渦巻く鬱屈の刃を窘めるように、御堂島は声を返した。
「俺だって期待なんかしてないよ、貴臣。でも、まあ見るだけ見て、いいのが居るかもしれないじゃん」
「……」
 口を開いた。
 何を刺したらいいのかわからなくなった。
 どうしたらいいのかわからなくなった。
 けれど口を閉じたら負けてしまうような気がして、そうしたら、
 そうしたら?
 この上なく不本意なことに、貴臣の目の奥が熱を持った。
「そろそろ、到着します」
 放っておいたら車を降りてしまいそうな勢いだった貴臣を遮ったのは、運転席に座る御堂島サチカだった。
 彼女は御堂島兄妹の従姉妹であり、兄妹を除くと、御堂島家で唯一貴臣側についている。ミラー越しに見える顔は能面とあだ名される通りに動かず、それに少しだけ溜飲を下げられる。淡々とした様子で口を開いた。
「当主、あまり興奮しないでください。シートベルトを締めてください」
「……今から着くんじゃねーのかよ」
「これからの三分で事故を起こすこともありえますので」
「じゃあこの上なく気を付けて運転してくださァい」
 苛立ち紛れに、シートに背中をぶつける。
 ……死んでも血なんか飲むか、クソが。
 落ち着いたのは結局ここだ。呪うような言葉は、胸の中でとぐろを巻いた。

 ようやく到着した苑宮の社の門の前では、見た覚えのない老女が待ちかまえていた。怠くて思うように動かない体を御堂島とサチカと二人がかりで車から降ろされ、しぶしぶ御堂島と並んで立つと、貴臣の無礼な態度を全く意に介していないような恭しさで老女は頭を下げた。この老人が当主だろうか。
「次代の御津藏さまですね」
 その声は、想像していたしゃがれ声とは全く違う、まるで少女のような声色を帯びていた。そのアンバランスさに、貴臣は違和感までは届かない不思議を覚えた。
「はい。こちらが、御津藏家当主の、貴臣様です」
 御堂島は、他人向けの人当たりの良い笑顔でそう返した。
「事情は聞き及んでおりますゆえ」
 どんな事情だよ。
 貴臣は口車を回したであろう横の御堂島を伺ったが、彼はこちらを見なかった。
 さあ、奥へ。
 苑宮の当主に促されて、ようやくこちらを見た御堂島とちらりと視線を交わしてから、貴臣はその門をくぐった。


 通された広間には三つ指をついて伏している巫女がずらっと並んでおり、それは大層壮観だった。揃って同じ着物を身につけて、同じ髪型をしているところがまるで学校のようだと思った。それから外れた者が見あたらないというのが不思議だが。そう、例えば学校における貴臣のような者が居ないように見える。はずれなし。それが一番外れている。
 貴臣は部屋には上がらず、廊下から一瞥しただけで立ち止まった。
「これが全部苑宮の巫女?」
「正確に申し上げますならば、この中から、適性のある者が苑宮の巫女となります」
 老女はかしこまってそう答えた。
 へえ。
 そのシステムは興味深いと思った。
「じゃあ、いいや」
 特に食指が動かなかったのでそう告げる。
「いいって……臣?」
 困ったときの声を出した御堂島を見上げて、貴臣はもう一度同じ言葉を繰り返した。
「全然おいしそうじゃないから、いらない」
 ふあ、と貴臣は欠伸をした。ポーズ半分、眠さ半分。
「ねえ車戻って寝てもいい? 後はよろしくゥ」
 ひらっと手を振って、貴臣は表情の読めない老女とため息を吐いた御堂島を置いてその場を去った。
 御堂島の落ち込んだ様子を見て、すこしだけすっきりとした。
 
 
 玄関で揃えてあった革靴を履き、ふと思い立って庭の方へと回った。
 当然いちいち許可など取らない。が、御津藏家当主の自分に文句を言える人間がこの家に存在するだろうか? しないだろう。いたとしても御堂島。
 屋敷の奥には行かないようにと言われていたが、住居部分に踏み込むつもりなど毛頭なかった。そんな興味は持っていない。
 立ち並ぶ白壁の倉をいくつか通り抜けると、砂利が敷き詰められた庭に出た。奥には竹林があり、手前にはなんだかよくわからない背の低い木がいくつも生えている。
 貴臣は、庭を見ることが好きだった。
 植物が漂わせる余生の空気だけが最近の貴臣の癒しである。
 苑宮の社というだけあって雰囲気は壮麗だったが、しかし花はひとつもなかった。
 それを少しつまらなく感じる。
 はあ、とため息を吐くと、その瞬間穏やかな風が吹いた。
 貴臣の白い髪が揺れる。
 生ぬるいそれはけして気持ちの悪いものではなく。
 しかし、ぞくりと背筋が震えた。

 ――予感があった。

 振り返り、上を見上げる。
 倉だと思っていた、白壁の高みに。
 ひとつだけ、窓があった。
 ガラスの向こうには、まるで造られたような少女の姿があった。肌はしろく、髪は黒く。その視線はどこに焦点が合っているのかわからない。人形だろうか、と思った途端に瞬きをした。静的なその表情はまるで体温の無い人形よりもよほど虚ろだった。
 口が、僅かに開く。
 喉が焼けつくように渇いた。
 眼球の奥に、まばゆく貫く感情があった。
 車の中で感じたような熱が再び閃いた。
 あの少女のためなら泣いてもいいと思った。
 欲しいと思った。
 遠目でわかった。
 一目で気づいた。
 これがきっと焦燥だ。はじめて、覚えた――食欲だ。
 生まれて初めて、貴臣は自分が飢えていたことを知った。
 視線に質量があるのならばきっと貴臣は彼女を刺し殺していたに違いない。けれど見つめることを止められはしない。
 こっちを向いてくれないか、そう考えた瞬間に少女は貴臣に気づいたらしい。それまで焦点の合っていなかった目を見開いて、一度瞬いた。
 ああ――運命的。
 貴臣は、思わず胸に手を当てた。そこにある心臓は相変わらず動いていないのだけれど、どくんと跳ねたような気がしたのだった。
 少女はしばし困惑したように貴臣を見下ろしていたが、じきにふいと後ろを向いて、そのまま窓の向こう、見えないところに行ってしまった。
 胸に当てた手の指に力が入る。
 唇を噛む。
 目を細める。
 胸に当てていた手を、ぶらんと体の横に垂らした。
 逃がさない。
 貴臣は、倉の入り口に向けて一歩踏み出した。



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