諌名の項にそのうつくしい顔を埋めて、何か諌名が知らない歌をくちずさんでいるそのひとが地下室に諌名を監禁しはじめてから、十三日が経過した。
この監禁はめずらしく諌名が提案したことだった。その理由は、十三日前の朝に、貴臣が「諌名と離れるのが怖い」とか「浮気されるの心配でお仕事に行けない」などと泣いて喚いて散々に殴られたからであった。あなたがそれほど心配なら廊下へ出ないし誰にも会わないと約束して、一時間に一度貴臣からかかってくる電話にかならず出ることを決めて、好まない首輪を自発的につけたところでようやく貴臣は泣きやんで、まるでとどめを刺すように、諌名が貧血で立てなくなるほど吸血をしてから出勤したのだった。その多量の吸血はそれから日課となって、諌名はこの二週間の間、ずっと弱ったままである。
躰に絡みついている腕が、戯れるように締め付けを増す。
「いさな」
呼びながら、彼は諌名のくびすじに頭を預けた。返事をするのが億劫だったので、くちを開かずに、首を僅かに傾ける。貴臣は嬉しそうにうふふと笑った。
「いさなちゃん」
ふと、この世で一番わたしの名前を呼んでいるのはこのひとに違いないわと思った。
貴臣の脚が諌名の腰を圧迫したので、身につけていたドレスの爪先あたりの生地が僅かに動いた。白いシーツと擦れて、足首が露出する。すこし痩せてしまったかもしれない、と諌名は思った。貴臣にそれを気づかれたら怒られることを知っていたので、諌名はひそかに足をスカートの内側へと隠した。
「ああ、そうだ、あのね、お庭の花が綺麗に咲いてたよ。薔薇。諌名ちゃん、薔薇の花が好きだったでしょ? 六十六日前に白い色以外の薔薇も見てみたいって言ってたから、三津浦に言って他の色の薔薇も植えてもらったんだよね。いま、うちの裏庭、薔薇園になってるんだ。行きたい?」
その言葉を聞いて、諌名はゆっくり頭を動かした。視線を合わせようとしていることを察したのか、貴臣は諌名の顔を覗き込んだ。
「見たいの?」
「……ええ」
久しぶりに言葉を発したので、声がすこし掠れていた。
「ほんと?」
貴臣は、目を細めた。それから、口の両端を歪んだみたいに吊り上げる。
いつも彼はそういう順序で笑うのだった。
それが、すこし、好きだった。
「じゃあ、だぁめ」
きゃはは、と笑って貴臣は諌名をシーツの上に押し倒した。指を絡められて、諌名は反射的に視線をそちらへ向けた。握りつぶそうとするように力を込められて、諌名は小さく息を吐いた。胸の中心が熱かった。それを悟られないように、呟く。
「……まだ不安なの?」
「ずっと不安だよ、そんなの。十四歳のときからずっと不安だったよ。未来永劫そうだよ。だから諌名ちゃんずっとここに閉じこめられててよ」
「それはだめ」
「じゃあいつまでなら許してくれるの? 諌名ちゃんの限界までずっとこうして諌名ちゃん監禁してるから」
「死んでしまうわ」
貴臣の指先が、諌名の手の甲を撫でた。貴臣の指も、好きだった。目を細める。
「諌名ちゃん、俺の眷属だから死なないでしょ?」
「息が詰まるの」
「でも諌名ちゃんがおそとに出たら俺以外のことが目に入っちゃうじゃん? 俺のこと、嫌いにならない?」
「ならないわ」
「どうして?」
「どうしてかしら」
「答える気、ないでしょ」
「だって、あなたに答えさせる気がないもの」
諌名は目を閉じた。貴臣の指先にだけ集中しようと思ったのだった。
「えー、ええー、うわあ、なにそれ、むかつく。俺はこのまま一生監禁してあげてもいいんだけどォ?」
「そう」
「何その返事、マジで考えるけどいいの?」
「臣くん」
「何」
「すき」
「許す」
貴臣は諌名の胸に顔を埋めた。そのまま彼が横になったので、その頭を抱くように腕を回した。貴臣の、高校生の頃よりも短くなってしまった髪を、残念に思う。眠っている貴臣の白い髪を梳くのが好きだったのに。
貴臣は拗ねたようにぶつぶつと呟いていた。
「もぉ、何、もう、全部許す、全部、何もう、嫌い、諌名ちゃんの馬鹿、殺してやる、馬鹿女。ねえ諌名ちゃん俺このまま寝るから明日の昼に起こしてくれる? そしたら一緒にお庭でお茶飲むから、実は今日ちゃんと茶葉買ってきてたし。首輪はつけるけど。あと、他の人には会わせないけど」
「うん」
「何その感じ、なんか悔しいんだけど、諌名ちゃん殴ってもいい」
「だめ」
「じゃあやめておいてあげるから嬉しく思って」
本格的にふてたようにそう呟いて、貴臣は頭突きするような勢いでシーツに顔を押しつけた。
愛しいその声がおやすみと呟いたので、諌名も可能な限りやさしい風に聞こえるようにおやすみと言って、目を閉じた。
© 2008- 乙瀬蓮