諌名ちゃんが眠っているところが、まるで本当のお人形のように見えたんだ。
臣は、さきほどの残念そうな声色の理由をそのように説明した。
「お人形……?」
起きて間もなく、まだ少々ぼうっとしていた諌名は、ただその言葉を繰り返す。人形。ひとのかたちをした玩具のこと。
「言われたことなぁい? 諌名ちゃんはお人形さんみたいだね、とか」
さっき、あなたの着せ替え人形のようだとは、言われたわ。――とは、思いついたけれど、言わないことにした。そういうことではないと思った。
ぼんやりとした記憶を探る。
お前など人間ではない、と言われたことは何度かあるが、人形のようだと言われたことはなかった。
そう答えると、臣は穏やかに苦笑して、そういうことではないのだと言った。
どうしてそんなに嬉しそうな顔をしているのかしら。
諌名は、臣の言葉よりその表情の方が気になった。お昼からずっとそうだった、諌名がこれまで向けられたことのないような、そんな顔をこのひとは惜しげもなく諌名に晒す。その理由を知りたかった。
「外見がね。見た目が。あのね、諌名ちゃんは全く動かなければ、本当に、陶器でできた人形みたいに見えるってこと。生きてるのか生きてないのかわからないくらい、精巧な人形みたいに。わかる?」
「よく、わからない」
「整ってるの」
臣は、床に膝を突いて、まだ横になっていた諌名の手首を持ち上げた。体を起こそうとすると、肩を押さえて止められた。
「諌名ちゃんのね、目も鼻も耳も唇も、この手首も、すごい完璧」
そう言う臣は、まるで熱に浮かされたような様子に見えた。
「……臣くん?」
呼ぶと、彼はとろんと目を細めた。
なぜか諌名は焦燥するような感覚を覚えた。
「……臣くん、……あの」
「ああ、ほんと、声もいいなぁ」
するりと諌名の手首を撫でた臣は、両手で包むようにして諌名の手を持つと、そのまま諌名の人差し指を口に含んだ。
柔らかい――濡れた感触と共に、冷え切っていた指先が、ぬくもりに包まれる。
思わず、黙り込んでしまった。このひとは、この人は――何をしているの。
どうして、わたしの指を、食べているのかしら。
諌名は困惑した。
引きつれるように肩が動いて、腕を引こうとしたのに、臣に掴まれたところからすこしも動かない。
ああ、囚われ、て。
ざらりとした舌の感触が人差し指の腹を撫でて、どくりと心臓の音が体内に響いた。
「……ぁ、」
中途半端な声を出してしまって、
「やめて」
ちゅ、と吸われて、諌名は再び小さく声を漏らした。それがどうしようもなく恥ずかしく思えて、諌名は下唇を軽く噛んだ。
「臣くん、何をしているの……」
懇願するような声音でそう問いかけると、臣はようやく諌名の指を解放した。は、と熱い息が指先にかかって、諌名はそれに怯えるような気持ちになった。今指を放されたこと、それを――すこしだけ残念に思っている自分に、怯えるような、気持ちになった。
ああ、どうして、わたし。
「あー……おいし……」
混乱したまま臣の顔を見ると、臣は上目遣いに諌名を見上げた。そして、諌名の顔を見て、ぱちりと目を見開く。
「あれ、諌名ちゃん、泣きそう?」
「え?」
「目が潤んでる」
それは、寝起きにこのようなことをされれば、潤みもするだろうと思う。
諌名はゆるりと首を振って、何かを言おうとして口を開いた。
けれど、何を言えばいいのだろう。
理由を問うのか。
首を傾げている臣の顔を見ると、まるで諌名がおかしいような気分になってくる。
諌名は、限られた数少ない本などでしか外を知らないから、――諌名が、おかしいのかも、しれないけれど。
ああ、
「あのね、諌名ちゃんの寝顔がかわいかったから」
それが全てだ、と言わんばかりに貴臣はにこっと笑った。
その笑顔があまりにも当然のようだったから、ああ、おかしいのは――自分なのか、と思った。
諌名が、か細く「そう」と答えると、臣は自分の唾液で濡れた諌名の指をていねいにハンカチで拭った。その手つきは予想の通りにやさしくて、諌名は落ち着かなかった。
されるがままになりながら、諌名はふと、臣の体温が不快ではないことに気づいた。しかし、それがどういうことなのかを考える前に臣が口を開いた。
「あ、忘れてた」
お願いがあるんだけど、と臣は諌名の顔を見上げた。するり、滑り込むようにして、臣の指先が諌名の首筋に触れる。びく、と体が跳ねた。
絞めるのかしら、と思ったけれど、臣は優しく撫でるだけだった。
視線がひたりと一致する。
「俺と一緒じゃないときに、この部屋から出ないようにしてほしいんだけど」
いいよね?
そう聞かれて、諌名はじっと臣の目を見返した。この部屋から出ても良いのか、と思った。苑宮に居た頃も奏済にいた頃も、それは叶わないことだったから。
あの庭に再び出ることも、半ば諦めていたのに。
「諌名」
呼ばれて、いつの間にか伏せていた視線を反射で持ち上げる。
「返事してくれる?」
またさきほどのような甘い声色でそう言われて、諌名は小さく息を吐いた。
「はい」
声が小さすぎて掠れてしまったが、臣はそれを聞いて満足そうに微笑んだ。
© 2008- 乙瀬蓮