未必の戀の返りごと




「おみくん」
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 少年が部屋を出るのを確認した諌名は、慎みが無いとは知りつつも、天鵞絨張りの椅子に深く沈み込んだ。
 もとからほとんど無い体力を根こそぎ持って行かれてしまったのだ。
 静かに息を吐ききって、目を瞑る。

 お人形を着せ替えて遊ぶ女の子のようだ、と御堂島が言っていた。口に出す余裕はすこしもなかったのだけれど、頭の中でまったくだわと思っていた。
 洋服屋が来たと少年から聞いたときには、てっきり少年が着るものを選ぶのだと思っていたから、いざドレスを押しつけられたときは完全に不意打ち状態で、驚いている内にカーテンの奥へと押し込まれてしまっていた。これまで和装ばかりしてきた諌名はそのドレスを着るのに大層気が引けていたのだけれど、着替えなければ俺が引ん剥くとまで言われれば抵抗はできず、慣れないそれをしぶしぶ身につけたのだった。
 生まれて初めて身に纏ったドレスは、まるで喪服のように真っ黒だった。初めて着ることを鑑みたのだろうか、構造はとてもシンプルだったので、諌名でも着ることができた。黒いレースがふんだんにあしらわれており、瀟洒な雰囲気があった。端から見るぶんにはとても綺麗なものだとおもったけれど、和装と違って上半身の体の線が出てしまうのがとても恥ずかしく思えて、このまま人の前にでるのは憚られた。なにか上着が欲しい、とカーテン越しに少年に伝えると、「あ、もう着たんだ?」と言うなり彼はカーテンを開け放った。
 思い出して諌名の胸の内が苦くなる。
 あのひとは人の話を聞かないのではなく、聞いた上で無視をするのだ。
 その上、その傍若無人さに驚いて声も出ない諌名を見るなりぱっと笑って、「かわいい」などと褒めるから。
 そのせいで諌名はどうすればいいのかも何を言えばいいのかもわからなくなってしまって、そのうちに次に着るものを渡されて、
 そこから先はなし崩しである。
 数時間に渡ってずっと着せ替え人形の気分を味わうことになった。
 少年が、諌名が試着した中でどれを買うか決めるというので、頼んで先に下がらせて貰ったのだった。

 諌名以外は誰もいない、静かな部屋だった。
 沈んでいた身を起こして、ぐるり、部屋を見回した。落ち着いた調度の統一された雰囲気の中で、諌名は酷く異な存在だと思った。ここは少年の私室の居間だと言う。他には寝室と、もうひとつ部屋があると聞いた。
 この広い部屋に、いつもひとりでいるのかしら。
 ふと、そう思った。
 とても居心地の良い部屋ではあったが、ひとりで過ごすには広すぎるように思えた。諌名がこれまでずっと狭い部屋で暮らしてきたから、そう思ってしまうのかもしれないけれど。
 諌名は、ふたたび椅子に身を預けた。なんとなく落ち着かず、どうせ誰もこないだろうと思って膝を抱える。おろしたばかりのドレスは穏やかな香りがした。
 あの少年は、――少年の家と言った方が正しいのだろうが、とても裕福なのだろう。そして、あの少年が当主だということは、おそらく彼には親類縁者がいないということ。
 それなら、やはり一人なのだ。
 さみしいのだろうか、と思った。
 諌名は、目を閉じてあの少年のことを思った。
 彼は、気に入ったから諌名を連れて行きたいのだと言っていた。気に入ったというのは、どこがだろうか。ああ、おいしそうだと思ったと、そう言っていた。おいしそうなのかしら。わたしは、おいしそうに見えるのかしら、あのひとにだけは。
 そのとき諌名は、まだあの少年の名前も聞いていないことに気がついた。
 ああ。
 ああ、いろいろ。わたしは、本当に何も知らないわ。
 あの福寿草を、もう一度見たい。あの儚げな、まるであのひとのような福寿草。
 あの白い庭に、また連れて行ってくれるかしら。
 二人で、さみしくないように。


 かすかな気配で気がついた。目を開けると、前には膝掛けを持った少年が諌名を覗き込むようにして立って居た。
「ああ、起きちゃった」
 なぜか残念そうに言うその言葉で、諌名は自分が眠ってしまっていたことを知った。眠る前の記憶はなんだか朧気で、その上なんだか眠っている間もずっとこの少年のことを考えていたような気がするので、この少年はまるで夢から抜け出してきたように思えた。
「あれ、でもまだ寝ぼけてる感じ?」
「なまえ」
 ぽつり、呟く。
 少年は首を傾げた。
「名前?」
 臣、と呼ばれていたような気がした。御堂島という青年に。今、それを思い出したのだった。
「おみくんというのね」
 そう尋ねると、彼は驚いたように目を見開いた。
「……自己紹介って、してなかったっけ?」
 頷くと、少年は一瞬だけはにかむような表情を浮かべた。
「……そっか。うん……そうだよ、そう呼んで、諌名ちゃん」
 そして、臣はくすくす笑った。やっぱりあの庭の花に似ていると思った。臣はときおり、こうして花がほころぶように笑うから。
 そしてその笑顔がやっぱり女の子のように見えたのだけれど、それを言うと怒られるような気がしたので、諌名は黙っておくことにした。






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