未必の戀の返りごと



裏庭
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「ええー、まだ着いてないのォ?」
 家に着く頃に呼んでおいてと頼んだ洋服屋がまだ着いていないと聞いて、貴臣は唇を尖らせた。
 諌名を着せ替えて遊ぶつもりが満々だったので、期待が萎えて面白くなかった。
「苑宮出てから何分だと思ってんの、臣くん?」
 面白がるような口調の御堂島に、ふてた口調で返す。
「にじゅっぷん」
 御堂島が苦笑する気配がした。
「諌名ちゃんに家の案内でもして待ってたら?」
「うー」
 不満を引きずったようなうなり声が喉から零れた。
 しかし、まあ、家の案内をするというのは名案かもしれない、と思った。
 諌名は苑宮にいる頃あの部屋から出たことが無かったと言うし、道中、車内でも諌名はずっと窓の外を見ていた。
「そうする」
 そう言って、貴臣は玄関ホールの内装を見回していた諌名の手首を掴んだ。少し驚いたようにその手首が跳ねたのに、抵抗しないのが快かった。

 きぃ、と金属が擦れる音を立てて、貴臣は裏庭に通じる木戸を開けた。さきほどまで照っていた太陽は雲で隠れていたので、多少は気が楽だった。肌で感じる気温は涼しげに乾いていて心地よく、庭を見るには丁度いいと思った。
 廊下を歩いている最中の諌名は、想像していた通り物珍しげな様子の無表情であちこちを眺めていた。けして貴臣の側から離れようとはしないけれど、あれこれを面白がっているのは見ていて顕著にわかった。純和風の苑宮と洋風に建てられた御津藏の屋敷では、確かにいろいろ違うだろう。
 貴臣は、しゃがんで白い芝桜を見ている諌名を見遣った。
 その目元が若干和らんでいるように見えて、貴臣はすこしほっとした。
 諌名は基本的に表情を変えることがあまりないようだった。それは魔力が走ることに恐怖を覚えているからなのだろうと思う。しかし顔だけ無表情でいたところで内心が揺れるのなら面を取り繕うことに意味などない。それを教えるべきだろうか、と貴臣は一瞬だけ逡巡した。
 そして、やめた。
 好都合かもしれないと思ったのだ。独占するのに、都合がよい。
 誰にも見せたことがないのなら、これからもずっとそうであればいいのだ。もし違う顔があるとして、それは貴臣だけに見せればいい。貴臣だけに。
 ああ、楽しみだ。
 貴臣は目を瞑ってため息をついた。
 いつか諌名が泣くところが見られるだろうか。笑う顔が見られるだろうか。そしてそれを独占できるだろうか。彼女は貴臣のためだけに泣いて喚いて微笑んでくれるだろうか。
 そうなってほしい。
 そうなったら、いいのに。
 貴臣は諌名のことを考えた。諌名は「わからない」と答えることが多い。それは言葉が見つからない、あるいはどちらでもいいという意味なのだろうか。それとも、本当にわからないのだろうか。
 なんとなく、貴臣は、この子はきっと本当にわからないのだろうなと思った。
 微動だにせず芝桜を見続ける諌名に視線を移して、貴臣は尋ねた。
「……諌名ちゃん、お花好き?」
 そういえば苑宮の庭には花が咲く植物が植わっていなかった。貴臣は花が咲く植物が好きなのでそれをつまらなく感じたのだが、もしかすると諌名もそうなのかもしれない、と思ったのだ。
 わからないとしか――言わないか。
 そう思ったのが本心だったから、諌名がそっと頷いたのに、貴臣はとても驚いた。
「……ええ」
 好き。
 貴臣は驚いた。
「……そっか」
 口を、押さえる。すき、すきって――言った。諌名が。
 諌名が。
 その声を何度も何度も何度も頭の中で繰り返す。
 ああ、突然馬鹿になってしまったみたいだ、と貴臣は思った。別に自分が言われたわけでもないのに、どうしてこんなことで動揺しているのだろう。
 そう、それでは、明日から部屋に花を置こうかと思った。庭師に話をしておこう。
 これ以上諌名のことを考えると危険のような気がしたので、貴臣は話を逸らした。
「あっちに福寿草が咲いてるよ。見る?」
「フクジュソウ?」
「うん。幸福のふくに、ことぶきに、草で、福寿草。あと木蓮もある」
 手を差し出すと、諌名はそれに自分の手を重ねた。
 ああ。
 貴臣は、熱い息を吐く。
「見たいわ」
 そう言う諌名は今までで一番人間に似た気配がして、貴臣は目を細めた。
 ああ、諌名のこれは、この気配は、どんな感情に起因するのだろうか。
 好意?
 そう、それなら、
 その一番は貴臣に向けて欲しかった。
 ほんの少し何かを失ったような感覚を穏やかに丁寧に頭の隅に隠した。
 同じような形をしているのに、貴臣よりも冷たくて柔らかい手を引いて、貴臣は庭の奥へと歩き始めた。






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