未必の戀の返りごと


戻る

半合意拉致


 庭を抜けて、家の門の方へ近づくにつれて騒がしくなった。ふと、引いていた手が重くなったので、何だと思って貴臣は後ろの諌名を振り返った。
「どうしたの?」
 声を掛けると、脚が竦んでいるようだった。何かを、怖がるような様子。顔を覗き込むと、蒼白だった。
「―――――、ひとが……いるわ」
 声は限りなく低められていて、そして震えてもいた。
 ああ、そうだ。
 そうか。
 この少女は、人を殺してしまうのが怖いのだ。
 失念していたことを思い出して、貴臣は少女の手首を強く握った。それは細くて折れてしまうようなたおやかな手首だったけれど。諌名が貴臣を怖がらないのは、死なないからなのだ。
 しかし。
 木戸の向こうから聞こえてくる声は、貴臣が慣れ親しんだ世話役の声と――あとは、苑宮当主の声だろう。
 避けて通れるはずもなく。
「だいじょうぶ」
 貴臣は、諌名にそう言った。
「……大丈夫?」
「うん。俺が側にいるから、誰かが死んだりしないよ、諌名ちゃん」
 安心して、と告げると、諌名は小さく頷いた。
 この少女は、既に半分くらいは貴臣を信用しているらしかった。それを信用と言って良いのかどうかわからなかったけれど。信用と諦めの中間のような目の色。どちらでもよかった。どちらの色でも、諌名の瞳が美しいことに変わりはないのだから。
「……わかったわ」
 そう言う声はまだ少し震えていたが、貴臣は諌名の手を引いて木戸をくぐった。玄関へ出ると、そこには困り果てた様子の御堂島と、憮然とした老婆が立ちつくしていた。おおかた、行方不明になっていた貴臣についての話をしていたのだろうと思う。大穴で、巫女の扱いのひどさについてだったかもしれないが。
 そんな事を考えていると、御堂島は貴臣を、老婆は諌名を見て、それぞれ顔が青くなった。
 ああ、面白い。
 くすくす笑うと、御堂島が近づいてきた。
「お前、どこ言ってたんだよ、バカ。車戻るっつったんだからちゃんと車に戻っ」
 そんなことよりぃ、と貴臣は御堂島の言葉をぶったぎった。
 諌名を自分の体の前に持ってきて、御堂島に見せつける。諌名は驚いたように身を固くして、その様子が更に愛らしくて抱き締めたくなった。
「見てみてみて、諌名ちゃんって言うんだって。かわいいでしょぉ? だからこの子お持ち帰りしまぁす、おいしそうだし、俺諌名ちゃんからなら吸血できる気が」

「なりませぬ」

 貴臣の言葉を遮ったのは、苑宮当主の厳格な声だった。
 貴臣は、ゆっくりとそちらを振り返った。自分の言葉を遮られるのは嫌いである。
「何?」
 諌名を見る苑宮の視線を遮るように立って、貴臣はもう一度尋ねた。
「何が?」
 問いかけると、当主は一歩も引かずに同じ言葉を繰り返した。
「なりませぬ」
「何が?」
「その娘だけは、なりません。御津藏さま」
 苑宮当主のそれは見たものを萎縮させるような荘厳な視線だったが、貴臣には全く効かなかった。効くはずがない。
「何で?」
「穢れております。毒でございます。呪われております。そのようなものは、害にしかなりませんでしょう。自らの穢れた魔力の制御もできない娘です。うちの者なら何人差し出しても構いませなんだが、その者だけはなりません。害悪です」
 貴臣は数度頷いてそれを聞き流し、問いかけた。
「理由はそれだけか?」
「――御津藏のことを考えての言葉だとご理解くださいませ。その娘だけは容赦を」
「理由は、それだけなんだな?」
 貴臣が問うと、苑宮当主は黙り込んだ。貴臣は口の端を歪める。
「穢れていて、呪われている、害悪の血を持った小娘を俺が貰っていくことに、苑宮の方では何か問題があるかって聞いてるんですけどぉ?」
 老婆は顔を伏せた。
「御津藏さまを思えばこその言葉でありますゆえ、どうか」
「知らん」
 言い捨てて、貴臣は既に開いていたドアに諌名を突っ込んだ。小さくてかわいらしい悲鳴が聞こえたような気もしたが、気にしないことにした。御堂島が助手席に乗り込むのを見て、貴臣は老婆の方へ笑顔を向けた。
「諌名ちゃんをここまで育ててくれてありがとうございましたぁ、以後は俺がちゃーんとお世話しますのでぇ、安心してくださいねぇ? お礼は後で届けさせるので、今日はこれで」
 言うだけ言って後部座席に座り、ドアを閉める。

「……よろしかったのですか」
 最初に口を開いたのは、今日の運転役だった御堂島サチカである。孝枝の部下だが、あまり孝枝っぽさが感じられないので嫌いではなかった。
 聞くのは、貴臣の対応がぞんざいに過ぎたことを指しているのだろうが、貴臣は全く気にしていなかった。どころか、未だにじわじわと不快感が沸いてくる。俺の所有物のことをあんなにめちゃくちゃに言いやがって、あの場に諌名が居なければぶち殺している所だった。
 ひらひらと手を振って、顔だけ笑う。
「いい。それより、苑宮がクソ怪しいから調べておいて。一任する」
「了解しました」
「あー、あと、お前、その笑顔すっげー怖いよ」
 そう言うと、サチカは既に引きつっていた笑顔をさらに引きつらせた。彼女は無表情でいると能面のようだが、笑うのが下手だったのでどの表情も不自然だった。
「俺のかわいいかわいい諌名ちゃんのこと怖がらせて泣かしでもしたら市中引き回しの上斬首だから」
 そういえば、その俺の諌名ちゃんは、と貴臣は視線を横に向けた。右側に座っている諌名はどうやら人形モードに入ったようで、何も言わずに窓の外をじっと眺めていた。表情は浮かんでいないが、その様がどこか物憂げな様子にもうつる。
 陽の下に居なくても美人だった。本当に完成されている。
 しかし、
 貴臣は視線を下の方へ下ろした。
 服、和装が、あまり合っていない気がするのだった。人形のようだとは言っても、それは和ではなく洋寄りではないだろうかと思う。
「御堂島ぁ」
 助手席の御堂島に声をかける。
「屋敷につくころに、洋服屋呼んでおいて。少女趣味の」
「はーい」
 気のない返事を聞いて、貴臣はようやくぽすっと背もたれによりかかった。ふあ、と欠伸があふれる。
 諌名の横顔をじっと見つめて、まつげの長さを観察しているうちに、じわりと眠気が襲ってきた。
 とろんとした視界に、諌名の無機質な横顔がうつる。
 ああ、人が――知らない人がいるから、こうして感情を切っているのだろうか。
 さきほどの震える声を知っているので、そのように思った。
 その説を取り入れるならば、貴臣はもう諌名の他人ではないのだろう。それなら貴臣は、この少女にとってどのような立ち位置にいるのだろうか。

 ――そこまで考えたところで、貴臣の意識は途切れた。






戻る
△top





© 2008- 乙瀬蓮