さてどんな反応をするだろうと諌名の顔を見ると、彼女はずっと貴臣が触れたままの頬ばかり見ていて、貴臣の言葉には反応していなかった。むう、と頬をふくらます。まるで無視をされたみたいで嫌だった。
指の腹でひたひたと諌名の頬を叩くと、彼女は僅かに目を細めた。そのあえかなくちびるが僅かに開いて、小さく息を吐いた。ああ、呼吸している。貴臣は新鮮に感動した。これは生きているのだ。なぜだか急にどうしようもなく愛しくなって、このままその息が止まるまで口づけてしまおうかと思った。
その唐突な衝動をそっと堪えて、貴臣は口を開いた。
「何か言ってよ、諌名ちゃん」
彼女はそっと視線を伏せた。しばし躊躇うように間を置いて、そして彼女は唇を動かした。
「……あなたがどういうつもりなのかは知らないけれど」
「うん」
人差し指の先で頬を撫でながら話を聞く。ほんとうに陶器で出来ているのではないかと疑ってしまうほど滑らかだった。
「私は、この部屋からは出られないわ」
「どうして?」
諌名は、小さく息を吸った。
「人と会ってはいけないから」
それは、罪を告白するような声だった。こうして貴臣と会話を交わすこと自体、この少女にとってはおそらく禁忌なのだ。その禁忌を踏みにじっていることがたいへん快かった。目を細めて、問いかける。
「どうして?」
「わたしは、――ひとを」
「人を?」
「ひとを、殺してしまうから」
言葉が、震えた。
ぴり、と部屋の空気が揺れたのを感じて、貴臣はふっと視線を少女から逸らした。この部屋は魔力が走りやすいように造られているようだった。少女の言葉で部屋の中に走ったのは少女の魔力のひとしずくである。言葉に乗るということはそれを相当持てあましているのだろう、ひとを殺したというのはおそらくそのせいだ。
そこまで考えて、貴臣はふっと口の端を緩めた。
それならば、貴臣が気にすることではないからだ。
「俺は死なないから大丈夫だよ」
そう言うと、諌名は視線を上げた。どういうことかとその目が問う。
「俺は吸血鬼だから、諌名ちゃんの魔力では死なない」
「――吸血鬼?」
「そう」
「それでは、私の血を飲むの?」
尋ねられて、貴臣は一瞬言葉に詰まった。
――美味しそうだとは、思う。
手に入れたいとも思う。側に置きたいとも思う。
けれど、吸血は、
思い出すのは、生臭い気持ち悪さだけだった。
「――気が向いたらね」
そう答えると、諌名はふっと目を伏せた。
「私の血を飲むのはやめておいた方がいいと思う。穢れていて、毒だそうだから」
ああ、毒だからこんなに甘い香りがするのだろうか、と貴臣は思った。
けれど、諌名の毒を飲んで死ぬなら別に構わないような気もした。
「それ以外で、何か気になる点は?」
聞くと、諌名は惑うように目を伏せた。
「俺と一緒に来るの、いや?」
冗談みたいにそう言うと、諌名はふっと遠くを見るような目をした。
「わからないわ」
貴臣が首を傾げると、諌名はそのうつろな視線のままで、言った。
「けれど、私は血に食いつぶされてそのうちに死ぬわ。それでもいいなら、好きにすればいいんじゃないかしら。私のせいで、どんな悪いことがあるか、知らないけれど」
囁く諌名はその声は、これまでで一番幽かに見えて、諌名がまるでこれから消えてしまうように感じられた。
指先でそっと頬を撫でる。触れていたら消えないだろうか。このまま手を離さなければいいのだろうか。
ああ、本当にそうだったらいいのに、と思った。
貴臣が触れていなければ消えてしまうのならいいのに、と思った。そうしたらきっと、自分はこのあえかな少女の命になれるのに。
そんな甘やかな妄想を繰りながら、貴臣は、そっと呟いた。
「どんな悪いことがあってもいいよ」
だから、一緒に来て、諌名ちゃん。
それを聞いた諌名は、やはり貴臣に触れられた頬を伏せた視線で見つめながら、好きにしてと呟いた。
© 2008- 乙瀬蓮