未必の戀の返りごと


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 からん、とドアベルが鳴ったのが聞こえて、作業部屋に居た御堂島は顔を上げた。
 ちらりと時計を見ると、まだ十二時半である。――諌名が来るには早いから、客かもしれない。立ち上がって店の方へ行く。
 仕切りのつもりで下げている暖簾をくぐって店へ出ると、そこに居たのは白髪の男子高校生だった。
 御津藏貴臣。
 御堂島が幼少の頃からずっと世話をしてきた少年である。――今年十七になるのだから青年と表現した方がいいかもしれないが。
 貴臣がここに居るということより(もとよりこれは神出鬼没だ)、彼が制服を着ていることに驚いた。
 中学三年まではまともに通っていたものの、高校二年で編入してからの貴臣は全くと言っていいほど通学していなかったのだ。
「何で制服着てんの?」
 そう訊ねると、貴臣は数秒のラグの後にぼそっと答えた。
「眠い」
「会話のキャッチボールしようか」
「眠ィんだよ、諌名は?」
「諌名ちゃん? 来てないけど……っていうか、普通にまだ授業中でしょうよ、昼なんだから」
「は? あー、そっか、あー……ありえない」
 貴臣はふらふらと壁に寄りかかった。元から不健康なほど色が白い奴だったが、今日は特に蒼白だった。真っ白である。
「御堂島ぁ、寝るとこある?」
「えー? 奥のソファで寝る?」
 手招きすると、貴臣は低い声で唸りながら黙ってそれに従った。
「朝あ、テストがあるって市倉が家まで来てえ、嫌だっつってんのに連れ出されてえ、日ィ出てんのに外出たからあ、きもちわるくてえ」
 貴臣はとりとめなくそんなことを呟いた。
「わざわざ地上通ったわけ?」
 御堂島は苦笑しながらそう訊ねる。九条市は地下をメインに開発されているため(地上の街が後にできたくらいだから当然である)、やろうと思えば地上に出 なくても移動はできるはずだった。というか、貴臣が今住んでいるマンションは地下交通の利便性を考えて選んだのだから、できないはずがない。
「道は地下。でも教室が明るすぎ。ばっかじゃないの、地上に建てるなんて、御門に文句言いに行こうかな俺」
 死ぬ、と言いながら貴臣はソファにどっと倒れ込んだ。
「俺、諌名来るまでここで寝る」
「今日はバイトで諌名ちゃん使うんだから持っていかないでよね」
 釘を刺すと、貴臣はソファに倒れ込みながら答えた。
「やだ」
「やだじゃねーよ」
「っていうかさぁ」
 貴臣はクッションの隙間からじろっと御堂島を睨んだ。
「あれ、俺のなんだけど」
 何勝手に使おうとしてんの。
 非常に不機嫌な声でそう言った。
 ああ、それを言いに来たのか。
 御堂島は苦笑して貴臣と視線を合わせた。
「バイトするって決めたの、その諌名ちゃんだから」
「唆したのはテメェだろうが、ふざけんな」
「でもお前はそれを止めなかったんでしょ?」
 そう言うと貴臣は唇を尖らせて顎を上げた。不本意な時の顔である。
「じゃあお前は文句言えないじゃん、貴臣」
「だって」
 貴臣は御堂島を睨み据えた。
 その視線はあまりに切羽詰まっていて、こいつ泣くんじゃないかと一瞬心配になってしまうほどだった。
「諌名に嫌いって言われたくない」
 言われたく、ない。
 ああ、なるほど。
 こいつは諌名に嫌われていると思いこんでいるのだ。
 貴臣の頭に手をあてて、ぼすっとクッションに押しつける。
「寝れば、臣。諌名ちゃんのお仕事が終わったら起こしてやるから」
 来たらすぐ起こしてよ。
 顔を埋めたままそう言う貴臣に、甘えんなばーかと一言告げて、御堂島は作業机に戻った。







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