未必の戀の返りごと


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痛みへの期待


「……はァ?」
 怪訝な顔で問い返されて、諌名はもう一度繰り返した。
「今日から、御堂島のお店で、アルバイト」
「…………はァあ?」
 貴臣は眉を顰めて諌名の額に手を当てた。
「熱あんの? 無いね? 何急に? 何で?」
「人手が足りないと言われたから」
 貴臣は言葉が見つからないと言うように口をぱくぱくさせた。ああ、金魚みたいだわと思った。
「なんでそういうこと勝手に決めるの? 言えよ俺に何か、何のために携帯持ってんのお前、っていうかいつ決めたの? 昨日? なんで昨日のうちに教えてくれなかったの?」
 額からずらした手を頬に当てて、指先でぴたぴた叩かれる。指が入りそうだったので目を細めて、首を反らしてそれを避けた。
「だめ?」
「…………別にィ?」
 貴臣は不機嫌そうに顔をゆがめて、諌名の頬を平手で打った。
「っ、……」
 乱れた髪を手櫛でなおして、貴臣を見返す。
「これで気ィ済んだからいいや」
 頬をふくらませてリモコンに手を伸ばしながら、貴臣はソファに深く沈み込んだ。
 うそつき。
 全然納得してないじゃない。
 そう思いながら諌名は床から立ち上がった。御堂島の言うとおり、別にこの人は反対はしないのだと思った。考えてみれば、貴臣と違う学校に行ってみたいと言ったときも、殴られただけで反対をされたわけではなかった。
 どうして、だろうか。
 じわ、と痛み出した頬に手を当てる。
「……痛い?」
 ぼそっと声がした。振り返る。
 貴臣がこちらを見ていた。
「……痛いわよ」
「そっか」
 そして貴臣はほっとしたように微笑んだ。
 ――なんで、そんな顔するの。
 諌名は軽く唇を噛んだ。
 そんなに、そんな、嬉しそうに笑わないで。
 どうしようもない気分に陥って、諌名は床に目を落とす。そこに言葉を探すみたいに。
 ――結局それは見つからなくて、諌名はそっと呟いた。
「……ばかじゃないの」
 そのとき、玄関の方からぴんぽんと音がした。
 こんな朝に誰だろう、と思いながら諌名は玄関の扉を開けた。
 そして、そこに立っていた人物を見て驚いた。涼やかな目元をにっこり細めた青年だった。
「いちくらくん」
「おはよう諌名ちゃん。貴臣起きてる?」
 そう言っていい人そうに笑うのは、貴臣の……幼馴染みのような人だった。諌名はこの人が少しだけ苦手である。諌名は人の気持ちを察するのが苦手なので、市倉のようにわかりづらい人とは合わないのだった。
「起きてる、わ」
 戸惑ってリビングの方へ視線を向ける。貴臣はまだソファで拗ねているはずだった。
「どうしたの?」
「ちょっとねー、今日はあいつ引っ張り出さないといけないんだよね。あがっていーい?」
「……よくわからないけど」
 諌名は一歩引いて市倉を招き入れた。
「……どうぞ」







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